Pasania - パセミヤ

Pasania - パセミヤ Feast of Curated Flavors: Japanese Wine, Spices & Osaka style Okonomiyaki.

Where Curiosity Meets Flavor.
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語られるテロワール ── 「その土地固有」の語が取りこぼすもの|葡萄のかたわらで 第11回はじめに私がワインを勉強しはじめたのは、一九九一年からでした。その頃は、いまとはずいぶん違って、知識はほとんど紙の上にありました。本を読むか、輸入元や...
02/06/2026

語られるテロワール ── 「その土地固有」の語が取りこぼすもの|葡萄のかたわらで 第11回

はじめに

私がワインを勉強しはじめたのは、一九九一年からでした。その頃は、いまとはずいぶん違って、知識はほとんど紙の上にありました。本を読むか、輸入元や酒屋が配ってくれる資料を読むか、そのどちらかが中心だったのです。

記憶が曖昧で申し訳ないのですが、私がテロワールという言葉を初めて目にしたのは、『ワインを聴く』という本の巻末だったように思います〔註1〕。各国の有名な生産者へのアンケートの回答が一覧になっていて、そのなかで、どなたかが、この語を書いていたように記憶しています。

当時の私の感覚では、テロワールよりも、クリマ、あるいはミクロクリマという言葉のほうを、よく耳にしたように思います。そして、この二つの語のあいだに、私は当時から、微妙なズレを感じていました。ミクロクリマというのは、微小な気候の違い ── 畑の向き、風の通り、朝霧の溜まりかた ── に、葡萄の生育の特徴の由来を求める語です。これに対してテロワールは、土地、とりわけ地質の違いのほうに、ワインの卓越性の根拠を置きます。同じ「土地と葡萄の関係」を語っているようでいて、一方は空気と気温のほうを、もう一方は土と岩のほうを向いている。私には、その向きの違いが、どうにも気になっていました。

その後、生産者が自分のワインの卓越性を語るときに、テロワールという語を使うのを見かけることが増えていきました。だから、あの頃はちょうど、ヨーロッパでもこの語を使う人が増えていく途中だったのかもしれません。

当時はとりわけ、地質について語るときにテロワールが持ち出されることが多かったように思います。そんなある時、山下範久さんの『ワインで考えるグローバリゼーション』という本のなかで、ロジェ・ディオンという地理学者が取り上げられているのに出会いました〔註2〕。ちょうど福田育弘さんの翻訳が出ていたこともあって、私は『ワインと風土』と『フランスワイン文化史全書 ── ぶどう畑とワインの歴史』を読みました〔註3〕。そして、単純なテロワール概念には留保が必要であること ── ブルゴーニュやボルドーの産地の形成において、鍵になっていたのは環境の要因ではなく、むしろ社会の要因だった、という考えを知ったのです。

歴史を辿ると、産地と消費地の結びつきは、物流の網との関係でみておく必要があります。その点を強く押さえたところが、ディオンの慧眼だったと、私は思っています。

地質の違いというものは、たしかにあります。けれども、その違いが優劣と結びつけられたとき、そこには何らかの価値判断が持ち込まれていることになります。そしてその価値判断は、主体と、領域の確定と、権威性とを利用しながら、制度とのあいだに緊密な関係を結んでいく。ワインの世界は、とりわけヒエラルキー的なところがありますので、私はそのあたりについては、態度を留保していたいと考えてきました。

この、地質と優劣のあいだに割りこむ価値判断への用心は、三十年前に芽生えて、いまも消えていません。むしろ、毎晩のように、私の手のなかで形をとりなおしています。カウンターで一本を開け、その葡萄について何ごとかを語ろうとするたびに、あの留保が、すぐそこまで戻ってくるのです。── ですから、ここから先は、紙の上の来歴ではなく、その毎晩の現場のほうから、書きはじめることにします。

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第10回の終わりに、私は大阪の店のカウンターで、「甲州」とラベルされた一本を開ける、と書きました。複数の系譜が縺れあい、毎年組み変わりつづけている長いプロセスの、いちばん新しい一相に、たまたま居合わせている。そう書いて、第10回を閉じました。

その続きを、同じ場所から、もう少しだけ手前に立って書きはじめたいと思います。一本を開けてテイスティングする、その前に、私はたいてい、何かを喋っているからです。

カウンターのなかで甲州を注ぎ、グラスを置きます。お客様が、これはどういう葡萄ですか、と訊く。あるいは訊かれなくても、私のほうから話しはじめる。日本ワインを置いている店なら、どこでも交わされる、ありふれたやりとりです。そして、このときいちばん手早い言葉が、ひとつあります。「日本固有の品種でして」。

便利な言葉です。短く、座りがよく、お客様も、ああ、と得心した顔をしてくれる。話はそれで一段落して、私は次の料理の支度に戻れます。── けれども、この一年ほど、私はこの言葉を、口の途中で飲み込むことが増えました。「日本──」まで言って、その先の「固有」と言おうとして、逡巡し出てこないのです。

ぎこちなくなる理由は、自分でもしばらく、よく分かりませんでした。

第10回までを書いてきて、私はこの引っかかりの正体に、すこしだけ近づいた気がしています。「固有」とは、起源で閉じる語です。ある土地に、ある植物が、もともと属している。よそから来たのではなく、ここのものである。そういう、出自による所属を、一息に言い切ってしまう語です。けれども第10回で見たとおり、甲州は、ユーラシア西方の Vitis vinifera と東アジアの複数の野生 Vitis が、誰のものでもない森のなかで緩やかに編まれていった所産であるらしく、しかもその縺れの三割ほどは、いまも何だったのか分かっていません。それを「日本固有」と呼ぶことは、現在の国境のなかにある畑から、過去の森の不確かな縺れへと、後ろ向きに線を引きなおす身振りに近い。第10回で私が手放そうとしたのは、まさにその、「中心」や「起源」のところで語をぱちんと閉じてしまう、あの身振りでした。

だとすれば、「固有」もまた、手放さなければなりません。

ところが、ここで妙なことが起きます。「日本固有の」を引っ込めたあと、提供したグラスのなかには、まだ甲州が存在しているのです。この葡萄は、たしかに、この国の、この土地の、長い時間のなかで人と関わってきました。そのことまで否定したいわけではありません。「固有」という語が捉えそこねている何か ── この土地で、これだけの時間、人と葡萄が関わりつづけてきた、その関係の厚み ── は、たしかに、お客様のグラスのなかに、あります。では、それを何と呼べばいいのでしょうか。

その関係の厚みを指す語を、私たちは、すでに持っています。ワインの世界でもっとも使い古され、もっとも曖昧で、もっとも酷使されてきた語。テロワールです。

第11回は、この語について書きます。ただし、テロワールが何であるかを定義しにいくのではありません。むしろその逆で、テロワールという語が、どのように語られ、どのように制度になり、どのように「土地の本質」という顔をするにいたったか ── その語られかたのほうを、辿りなおしてみたいのです。第10回が甲州の起源神話に対して行ったことを、今回はテロワールという語そのものに対して行う、と言ってもいいかもしれません。

ここで、ひとつ、はじめに認めておかなければならないことがあります。テロワールが「語られるもの」だとすれば、それをいちばん身近で語っている張本人は、ほかでもない、カウンターのなかの私です。私は毎晩のように、甲州について、龍眼について、何ごとかを語っています。「日本固有の」と言いかけては飲み込み、勝沼の夏は蒸し暑くて、と言い、扇状地の砂礫が、と言っている。だから第11回は、遠い修道院やフランスの地理学者の語りを腑分けする回であると同時に、私自身の、毎晩の語りを腑分けする回でもあります。語られるテロワールを論じる私の口もとも、その「語られるテロワール」の、いちばん新しい一相なのです。

副題に「語られるテロワール」と置いたのは、そういう意味です。私はフランスのブルゴーニュにも、ボルドーにも、足を運んだことがありません。書いていけるのは、今回も、資料と文献を介して、遠くから像を組み直すところまでです。けれども、その遠さの埋め合わせになるものが、ひとつだけあります。パセミヤという、語りが毎晩起きている現場を、私は持っているのです。

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一|空のほうを見るか、地面のほうを見るか

「固有」を飲み込んだあと、私は何を喋っているのか。あらためて思い返してみると、だいたい二通りの話をしています。

ひとつは、こういう話です。勝沼のあたりは、夏は蒸し暑く、雨も多い。だから棚で高く仕立てて、葉を風に通してやる。湿気がこもると病気が出るので、それを逃がすのです、と。── これは、空気の話です。気温と、湿度と、風の話。もうひとつは、こういう話です。あのあたりは扇状地で、水はけのよい砂礫の土だ。だから根が深く伸びて、と。── これは、土の話です。地面の下の、石と砂の話。

気がつくと、私の品種の説明は、いつもこの二つのあいだを行き来しています。そして、どちらを先に喋るかは、その日の気分や、お客様の様子で、なんとなく決まっている。自分でも、どちらが甲州の「本当」に近いのか、はっきりとは分かっていません。空気のほうなのか、土のほうなのか。

この、空気か土か、という小さな迷いには、実は長い前史があります。私が一九九一年に感じていた、ミクロクリマとテロワールの、あのズレ ── あれが、形を変えて、いまもテーブルの上に、居残っているのです。少し遠回りになりますが、二つの語が、それぞれどこから来たのかを辿ってみたいと思います。自分の毎晩の迷いの出どころを、確かめておきたいのです。

ミクロクリマ ── 微気候という語は、もとはといえば、ワインの言葉ではありません。気候学の言葉です。一九二七年、ドイツの気象学者ルドルフ・ガイガーが、『地表近接気層の気候』という本を著しました〔註4〕。地面のすぐ上の、ごく薄い空気の層。そこでは、数メートル離れただけで、あるいは数十センチ高さが違うだけで、気温も湿度も風も変わります。その局所の気候を、ガイガーは微気候と呼びました。これが、この語の出発点です。

この気候学の語が、葡萄畑に持ち込まれるのは、ずっと後のことになります。一九八〇年代、ニュージーランドやオーストラリアの葡萄栽培学者たち ── リチャード・スマートや、フランスのアラン・カルボノーら ── が、葡萄の葉群(キャノピー)の内側の微気候を、問題にしはじめました〔註5〕。葉が繁りすぎると、内側の果房に光が届かず、風も通らず、湿気がこもる。だから葉の層を整理し、仕立てを工夫して、果房まわりの微気候を変えてやる。スマートが言ったのは、おおむね、そういうことです。

ここで、ひとつ、見落としたくないことがあります。ガイガーの微気候が「自然がそこに与えている局所の気候」だったのに対して、スマートの微気候は「人が剪定と仕立てによって作り出す気候」だった、という点です。微気候という語は、半世紀のあいだに、観察される対象から、操作される対象へと、意味あいを変えていました。── 私がカウンターで「葉を風に通してやる」と喋るとき、私はスマートの側の、操作される微気候のことを、知らずに口にしているわけです。

一方、テロワールのほうは、まったく別の道を歩いてきました。

テロワールという語そのものは、ずいぶん古い言葉です。語源はラテン語の territorium(領域)で、中世フランス語には tieroir といった形ですでに現れ、十三世紀には「領域」を、やがて「農業の営まれる土地」を意味するようになりました〔註6〕。一五四九年には、ワインの文脈で「goût de terroir(テロワールの味)」という言いまわしが現れます。ただし、ここで気をつけたいのは、当時この「テロワールの味」は、必ずしも褒め言葉ではなかった、ということです。むしろ、洗練を欠いた、土臭い、田舎じみた、という否定的な含みを帯びることすらありました。「土地の味がする」とは、垢抜けない、という意味でもありえたのです。いまの私たちが、うっとりと「テロワールが出ている」と言うのとは、ずいぶん違います。

そして、これが決定的なのですが ── 中世から近世のテロワールが指していたのは、地質ではありませんでした。当時のテロワールは、村落共同体の耕作地の総体、つまり比較的広い農地の空間に近かった。私たちがいま、テロワールと聞いて思い浮かべる、石灰質の土壌だの、片岩の斜面だのといった地質学的なニュアンスは、ずっと後の時代になって、細分化された地質の知識とともに、付け加えられた意味なのです。

つまり、こういうことになります。私が一九九一年に感じていたズレ ── ミクロクリマは空気のほうを、テロワールは土と岩のほうを向いている、というあのズレ ── は、二つの語が、まだ別々の系譜を生きていた時期の、ごく正確な感覚だったのです。微気候は、気候学から来て、葡萄栽培学が引き取った、若い技術の語でした。テロワールは、地理学と農学の伝統のなかで、何度も意味を変えながら歩いてきた、古い語でした。両者は、出自からして、違っていたのです。

ところが、二十一世紀に入って、この二つは、制度のなかで一つに束ねられてしまいます。二〇一〇年、国際ブドウ・ブドウ酒機構(OIV)が、ジョージアのトビリシでの総会で、テロワールの定義を正式に採択しました〔註7〕。その定義によれば、テロワールとは、識別可能な物理的・生物的環境と、適用される栽培・醸造の実践とのあいだの相互作用についての、集合的な知識が積み重なっていく空間であり、特定の土壌、地形、気候、景観、生物多様性の特徴を含む ── とされます。気候も、土壌も、地形も、そして人間の実践までもが、テロワールという一語のなかに、統合されました。ミクロクリマは、いまや、テロワールの内側に呑み込まれています。私の感じていたズレは、こうして制度の上では、解消されました。

けれども、解消されたからといって、消えたわけではありません。

ここで私は、ひとつのことに気づきます。あのズレは、空気か土か、というだけのズレではなかったのではないか。

気候は、毎年、変わります。今年の夏は暑かった、雨が多かった、と私たちは毎年、性懲りもなく言う。ミクロクリマとは、つまり、変わりつづけるものの名です。その年ごとに、葡萄の身体に、違う仕方で効いてくるもの。これに対して、地質は、変わりません。何百年も、何千年も、そこに在りつづける石灰岩、そこに在りつづける砂礫。テロワールが地質のほうへ重心をかけるとき、それが指し示しているのは、変わらないもの、動かないもの ── つまり、「本質」です。そして、変わらないものだけが、序列の土台になれる。動かない地面の上にしか、格付けという建物は、建たないからです。

ここまで書いてきて、私は、一九九一年のあの違和感が、何だったのかを、ようやく言葉にできる気がしています。

私が惹かれていたのは、どうやら、変わらない本質のほうではなかった。毎年変わる気候、葡萄の身体がその年ごとに受け取りなおしているもの ── そちらのほうだったのです。第10回で私が書いた、毎年組み変わる甲州のゲノムも、思えば、この「変わりつづける側」にありました。あのとき気になって仕方がなかった小さなズレは、もしかすると、私がこの連載でずっと辿ってきた問いの、いちばん最初の、まだ言葉にならない形だったのかもしれません。

この見立てが正しいかどうかは、この回の終わりまで書いてはしましたが、いまだに分かりません。ただ、ひとつ予感だけ書いておきますと ── テロワールをめぐる現代の議論は、地質を「本質」として崇める素朴さからは、とうに離れています。けれども、地質という本質を手放したあとに、では何が残るのか、というところで、議論はもう一度、分かれていくように思うのです。変わりつづける気候の側、葡萄の身体の側に残るのか。それとも、人間が語り、評価し、制度にする、その実践の側に残るのか。この分かれ道のことは、第五節で、もう一度考えたいと思います。

その前に、地質が「本質」の顔をするにいたった、その由来のほうを、見ておかなければなりません。なぜ土と岩が、空気ではなく、卓越性の根拠の座に着いたのか。その物語は、たいてい、中世の修道院から語りはじめられます。

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二|修道院の石壁を、もう一度ほどく

通俗的な語りは、こうです。シトー会の修道士たちが、来る年も来る年も、区画ごとに葡萄を育て、その味を記録し、土の違いが味の違いになることを発見していった。彼らは最良の区画を石の壁で囲み、クロ(clos)と呼んだ。なかには、土を口に含んで、その味から区画の性格を読みとった修道士もいた、といいます。こうして千年の観察の果てに、テロワールという考えが熟成し、それが二十世紀の原産地呼称制度(AOC)へと結実した ──。

この物語は、語りとしては、実によくできています。禁欲的な観察者、千年という時間の厚み、土を舐めるという、いかにも身体的で具体的な所作。テロワールという、つかみどころのない抽象的な概念に、これ以上ふさわしい起源譚は、ちょっと思いつきません。

この連載の第8回で、私はブルゴーニュのクロ・ド・ヴージョに、いちど触れています。シトー会がこの地に葡萄畑を開き、一三三六年ごろに石垣で囲ったこと。「クロ」という、壁で囲まれた畑の単位そのものが、特定の土地と特定の葡萄を結びつける装置として働きはじめたように見えること。そう書きました。ただ、そのとき私は、ひとつ留保をつけておきました。クロは中世においては所有権と税徴収の単位として機能していたのであって、現代的な「テロワール表現の単位」としての含意は、後代の遡及的な構築である可能性が高い、と。そして、テロワールという概念そのものは第11回であらためて取り上げる、と書きました。その約束を、ここで果たしたいと思います〔註8〕。

まず、「修道士が土を舐めた」という、あの印象的な所作から始めましょう。

この所作は、いかにも中世の文書に書かれていそうです。けれども、ブルゴーニュの研究者たちが中世・近世の一次資料を辿っても、修道士が土を試食して区画を定めた、という記述は、見あたらないのだそうです。では、あの像は、どこから来たのか。ディジョン大学の研究者たちの調査によれば、このイメージのよく知られた初出のひとつは、ヒュー・ジョンソンが一九八九年に著した、ワインの世界史のなかにあるらしいのです〔註9〕。つまり、「千年の伝統」を象徴するあの所作は、二十世紀の終わりの、一冊の啓蒙的な書物のなかで、生き生きと描かれた像である可能性が高い。中世の修道士が書き残したものではなく、二十世紀の書き手が、中世をこう想像した、その想像のほうなのです。「土を舐めた修道士」は、ことによると、一九八九年生まれだったのかもしれません。

ここまでは、第10回で甲州の行基伝説について見たことと、よく似ています。行基が葡萄を伝えた、という像が、奈良時代の出来事の記録というより、後代の幾層もの語りが重なり合って結晶したものだったように、修道士が土を舐めた、という像も、後代の想像が結晶したものらしい。神話が立ち上がるのは、原典に虚偽が書かれているからではなく、いくつもの層が、ある時期にひとつの語りのなかで重ね合わされ、引用され、太字になっていく、その過程によります。これは、第10回で置いた作業仮説そのものです。

ただし、ここで立ち止まって、ひとつ腑分けをしておきたいと思います。甲州の神話とブルゴーニュの神話は、よく似ていますけれども、神話化されている層が、実は違うのです。

甲州の場合、後から作られていたのは、主として「いつ・誰が」という、起源の物語でした。奈良時代に、行基という人物が伝えた。神話は、起源の時点と、起源の主体に、凝集していました。これに対して、ブルゴーニュの場合、後から作られているのは、起源の時点や主体というより、「ある語が、もともと何を指していたのか」という、語の意味のほうです。クロやクリマ(climat)という語が、最初からいまと同じ「テロワールの表現単位」を意味していた、という理解そのものが、後代の遡及なのです。

この違いは、小さく見えて、小さくありません。甲州の神話を解体するには、起源の年代と主体を、史料で問いなおせばよかった。ブルゴーニュの神話を解体するには、ひとつの語が時代ごとに何を指してきたかを、辿りなおさなければなりません。前者は出来事の神話であり、後者は意味の神話です。同じ「事後的な構築」でも、構築されている対象の層が、ずれている。第10回の語彙でいえば、甲州では「いつ起きたか」が問われ、ブルゴーニュでは「どの物差しで測られた語か」が問われる、ということになります。

では、クリマという語は、もともと何を指していたのでしょうか。

ディジョン大学のジャン=ピエール・ガルシア、トマ・ラベ、ギヨーム・グリヨンらの研究は、ここを一次資料から丹念に追っています〔註10〕。彼らによれば、十六世紀から十七世紀にかけてのブルゴーニュの史料で、クリマという語と、テロワールという語は、ほとんど同義であるどころか、むしろ対立する語だったといいます。テロワールは、さきに見たとおり、村や町を中心とする共同体の用益地の総体を指し、価値としてはむしろ低い、田舎じみた語でした。一方クリマは、村と村のあいだの、人の住まない、中心集落への参照をもたない空間を指す語だったのです。

クリマが、ワインの品質を保証する単位として ── つまり、いまの私たちが思うような意味で ── 立ち上がってくるのは、十七世紀の末から、十八世紀、十九世紀にかけてです。そして、それを駆動したのは、土を観察する修道士ではありませんでした。ディジョンの都市です。議会貴族、王の官吏、新興の投資家といった、ディジョンの都市エリートたちが、自分たちの求める「高級なワイン(grands vins)」を売り出すための品質規範として、クリマという範疇を磨きあげていきました。ガルシアらは、これを「テロワールとクリマの、都市による製作(la fabrique urbaine)」と呼びます。最初の「クリマのワイン」の記録のひとつは、一六七六年、シャンベルタンとクロ・ド・ベーズについてのもので、それはディジョンの市場をめぐる文脈に現れる、といいます。

そしてもう一つ、決定的な装置が、十九世紀に加わります。一八六〇年、コート=ドールの葡萄畑を格付けした地図が作られました。オリヴィエ・ジャケの研究によれば、この地図こそが、ブルゴーニュの葡萄畑を、階層化され、細分化されたテロワールの景観として可視化し、それがその後のAOC形成やINAOの実務にまで影響していったのです〔註11〕。

つまり、こう並べてみることができます。クロ・ド・ヴージョの石壁(中世)、クリマという品質範疇の鋳造(十七〜十八世紀)、格付け地図による階層の可視化(十九世紀)、原産地呼称制度(二十世紀)、そしてユネスコ世界遺産登録(二〇一五年)。── これらは、ひとつの自然が、一貫して表現されつづけてきた歴史ではありません。むしろ、別々の時代の、別々の合理性が、石壁という同じ物の上に、次々と別の意味を重ねていった歴史なのです。石壁はひとつでも、その石壁が何を意味するかは、時代ごとに鋳直されてきた。第一節の言葉を使えば、ここでもまた、「変わらないもの」(石壁、地面)の上に、「変わりつづけるもの」(意味、価値、制度)が、幾層も堆積している。私たちはその堆積のいちばん上の層を見て、それを石壁そのものの声だと思ってしまうのです。

ここで、ひとつ書き添えておきたいことがあります。

このクリマ概念史の解体を担っているガルシアらの研究者集団は、同時に、二〇一五年のユネスコ世界遺産登録 ── 「ブルゴーニュの葡萄畑のクリマ」 ── のための学術的根拠を作成した、まさにその集団でもあるらしいのです〔註12〕。つまり、同じ人々が、一方では「クリマは千年の自然な伝統ではなく、都市が作った範疇である」と脱神話化しながら、他方では、そのクリマを人類の遺産として登録する制度的な装置を、学術的に裏書きしている。これは矛盾でしょうか。私は、必ずしもそうは思いません。むしろ、これこそが「語られるテロワール」という主題の、いちばん深いところを指し示しているように思うのです。テロワールやクリマが構築されたものであることと、それが現に人々の生を支える現実であることとは、両立します。問題は、構築されたものを「自然な本質」と取り違えること、そしてその取り違えを、引用と制度の連鎖が太字にしていくことのほうにあります。── この、構築と現実が両立する、という捩れた事態を、どう考えればいいのか。それを正面から引き受けた研究者たちが、現代にはいます。次の節で、その声を聴きたいと思います。

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三|ロジェ・ディオン ── 半世紀前の前史と、その非対称

その現代の声を聴く前に、もう一人、前史としておさえておかなければならない人がいます。「はじめに」で名前を出した、ロジェ・ディオン(Roger Dion, 一八九六〜一九八一)です。

ディオンを読んだときのことは、わりあいよく覚えています。最初に感じたのは、一種の解放感でした。

それまで私は、テロワールという語の前で、どこか居心地の悪い思いをしていました。「この畑は格が違う」「この土地だからこの味になる」── そういう語りに、頷きながらも、心のどこかが頷ききれずにいたのです。土が違えば味が違う、それはいい。だが、その違いが、なぜ「格」の違いに、優劣に、値段の違いに、まっすぐ翻訳されてしまうのか。そこのところが、ずっと腑に落ちませんでした。ディオンは、その腑に落ちなさに、一つの答えをくれました。

ディオンは、リール大学を経てコレージュ・ド・フランスの歴史地理学講座を担った地理学者で、一九五九年に『フランスにおける葡萄とワインの歴史 ── 起源から十九世紀まで』という大著を、自費で出版しました〔註13〕。八百頁近く、八百を超える文献の註を備えたこの書物は、いまもこの分野の古典とされています。

ディオンの主張は、当時の通念からすれば、いっそ挑発的でした。フランスのワインの品質や名声は、土壌や気候や品種によって決まるのではない。それを決めているのは、市場との地理的な関係であり、消費者の要求であり、人間の意志である ── そう彼は論じました。ボルドーの格付けは、中世以来、高級品を求めたイギリス市場の商業戦略の産物である。ブルゴーニュの大アペラシオンは、ディジョンの公爵宮廷の要求から説明される。北ローヌの個性は、リヨンの市民層の期待に応えるなかで磨かれた。ディオンの筆は、一貫して、土地から人間へと、説明の重心を移していきます。

「はじめに」で私が「産地と消費地の結びつきは物流の網との関係でみておく必要がある」と書いたのは、まさにこのディオンの視点を指しています。ある畑のワインが「優れている」とされるのは、その土が特別だからではなく、その畑が、高い値で買ってくれる市場へと至る経路の、ちょうどよい結節点にあったからかもしれない。河川、街道、宮廷、港。ワインの卓越性は、地質図の上にではなく、物流の地図の上に、書き込まれていたのかもしれません。これが、私がディオンの慧眼と呼ぶものです。私の腑に落ちなさ ── なぜ土の違いが格の違いになるのか ── に対して、ディオンは、あいだに「市場」を一枚かませてみせた。土が格を決めるのではない。土と市場の関係が、格を決めるのだ、と。

ここで、ひとつ、文献の上で気をつけておきたいことがあります。これは第11回の主題そのものに関わりますので、すこし立ち入ります。

ディオンのテロワール論を要約するとき、しばしば「テロワールは地質学的事実ではなく社会的事実である(le terroir est un fait social, non géologique)」という、切れ味のよい一句が引かれます。私も長らく、これをディオン自身の言葉だと思っていました。ところが、原典を辿ってみると、この一句は、どうやらディオン本人の地の文ではないらしいのです〔註14〕。これは、二〇一〇年に彼の著作が再び世に出た際、その紹介や解説の周辺で ── とりわけ地理学者ジャン=ロベール・ピットの周辺で ── 流通するようになった、後世の要約である可能性が高い。

ディオン自身の筆に、より近い定式は、もうすこし慎重で、もうすこし含みのあるものです。一九五二年の論文で、彼はこう書いています。銘醸ワインを生むうえで土地が果たす役割は、芸術作品の制作における素材の役割を、ほとんど超えるものではない、と〔註15〕。あるいは、一九五九年の書物の冒頭近くで、彼はこう書きます。人間は、ワインを、義務によってではなく、選んだ友のように、好みによって愛する。だからワインの歴史は、その地理的な現れかたにおいてさえ、小麦や稲の歴史よりも、人間の恣意(arbitraire humain)によって、より強く刻まれている、と〔註16〕。

「土地は素材にすぎない」「人間の恣意」── これらはディオン自身の語彙です。「社会的事実」という、社会学的に磨かれた一句は、彼の語彙ではありません。

この区別は、些細な揚げ足取りに見えるかもしれません。けれども、第11回の主題からすれば、この区別そのものが、ひとつの実例になっています。テロワールという語が、引用の連鎖のなかで意味を鋳直されていくのと、まったく同じように、ディオンというひとりの地理学者の主張もまた、引用の連鎖のなかで、「社会的事実」という、より鋭く、より流通しやすい一句へと、結晶していきました。私たちが「ディオンはこう言った」と思っているものの一部は、ディオンが言ったことではなく、後世がディオンに言わせたことなのです。語られるテロワールについて書こうとする者は、語られるディオンについても、同じだけ慎重でなければなりません。── これは、自分自身への戒めでもあります。私もまた、さきほど書いたとおり、「社会的事実」という後世の一句を、長らくディオン自身の言葉だと思いこんでいた口なのですから。

さて、ディオンを前史として置くことには、十分な理由があります。彼は半世紀以上前に、土地決定論を、明確に退けていました。ただ、その退けかたの内側を、もうすこし丁寧に見ておきたいのです。「ディオンは土地を捨てて人間をとった」と、ひと息に言ってしまいたくなる。けれども、一次の文章にあたってみると、事情はもう少し込み入っているようなのです。

この、市場と物流を葡萄畑の質の説明に持ち込む眼は、ディオン一人の思いつきではありませんでした。彼はアナール派(École des Annales)と呼ばれる歴史家たちの一人でした ── 二十世紀の前半、フランスで起こった歴史学の刷新の流れで、王や戦争や条約といった大きな出来事の連なりを追う従来の歴史から離れて、気候、土壌、交易路、農法、人々の暮らしの長い持続を、相互に作用しあう要因の編み目として描こうとした人たちです。彼らが照らしだしたのは、自然の与件だけではありません。市や居酒屋や祭り、葡萄摘みの共同作業といった、人と人とが寄りあい結びあう社交の網 ── 暮らしのなかの社交性(sociabilité)もまた、葡萄酒の文化を編む確かな一本の糸でした。ディオンにとって、葡萄畑がどこに生まれ、どの土地の酒が名を上げるかは、地質だけでも、気候だけでも、人間の欲望だけでも決まらない。それらが長い時間をかけて編みあう、その編み目のなかから立ち上がってくるものでした。だから彼の自然は、けっして動かない背景ではありません。気候は変わり、土地は痩せ、川の流れは交易の道を引きなおし、葡萄畑はそれに応じて位置を変えていく ── ディオンの環境は、たしかに動的に変動するものとして描かれています。

事実、ディオンは、自然のみ・人間の意志のみという、どちらか一方だけを原因に立てる論じかたを、明確にしりぞけていました。事実を理解するには、それを二つの相のもとで見なければならない ── 一方は自然条件への抵抗を、他方は従属を表す、その両方を同時に見よ、と彼は書いています〔註15〕。土地決定論にも社会決定論にも振り切らず、抵抗と従属の両方を抱えこむ。これがディオン自身の方法でした。後世が彼に着せた「社会的事実」という鋭い一句は、この抱えこみの慎重さを、ずいぶん削ぎ落としてしまっているのです。

けれど、その変動の主語は、誰なのか。ディオンの筆のなかで、気候や土壌は確かに動きます。動いて、人間の営みに影響を与えます。けれどその動きは、人間が読み取り、乗り越え、あるいは利用する条件としての動きであって ── 自然そのものが、何かを差し出し、人間と共に酒を作る当事者として立つ、というところまでは届いていないように思うのです。市場も、物流も、社交の網も、人間の側ではこれほど豊かに編まれている。それだけに、その編み目に自然が当事者として加わっていない非対称が、かえって際立つ。前の節で触れた、土を舐めた修道士の話を思い出すまでもなく、ここでも能動性はやはり人間の側に集められている。自然は動く。動くけれど、動かす側ではなく、動かされる側にとどまっている。

ディオンの抵抗と従属の抱えこみは、対称ではありませんでした。そして、その非対称は、一回かぎりの枠づけのなかにあるのではなく、幾層もの折り重なりのなかに、繰り返し現れます。ディオンの描く過程は、こう辿ることができます。まず、社会の側の要因 ── 市場の要求、都市の富、流通の便 ── が、どこを葡萄の地とするかという領域を、大きく画定する。その画定された枠のなかで、自然条件の合う土地が、適したものとして残っていく。そして、その残存が、こんどはさらなる資本と労働の投下を呼び込み、産地は、いっそう産地らしく彫り深められていく。社会が枠を引き、自然がそれに応え、その応答がまた社会の投下を促す ── ディオンの葡萄畑は、こうした層の折り重なりの果てに、立ち上がってくるものでした。

ここまで辿ると、ディオンは、人間と自然とが交互に手を出しあう、ずいぶん動的な過程を描いていたことになります。事実、そうなのです。彼の歴史は、自然がただ背景に退いて人間だけが動く、という単純なものではありません。それどころか、ディオンの自然は、変化さえします。人間が土地を改良し、綿密な栽培を重ねるなかで、葡萄の木はおのれの特質を開花させ、その特質はやがて、土地の側に「獲得された性質」として刻まれていく。もとからの自然条件のうえに、人間との長い往復が生んだ新たな性質が、重なっていくのです。けれども、その過程を、どの層でも駆動しているものは何か、と問うてみると、答えは、やはり一方に傾きます。各層で、選択の基準を立てているのは ── どんなワインが価値を持ち、どの市場がそれを求めるかを定め、ひいては、何をもって「適した」とするかを決めているのは ── 人間の側です。そればかりか、いま見た自然の変化さえ、土地を改良し葡萄に手をかけるという、人間の長い作業が引き出したものでした。自然は、その人間の立てた基準に照らして、適したか・適さなかったかを、判定される。合致すれば残り、合わなければ退く。自然は、能動的に過程を起こすのではなく、人間の起こした選択に対して、残存という仕方で、あるいは変化という仕方で、応答する側に置かれている。ディオンの自然は、たしかに動きます。動いて、過程に加わる。変化さえする。けれど、過程を駆動する側としてではなく、各層で選別され、働きかけられる側として、加わっているのです。

これが、私が「振り切れ」と呼びたかったものの、より正確な姿です。ディオンは、土地が品質を一方的に決めるという、素朴な土地決定論者ではありませんでした。かといって、自然をただの舞台に退ける、単純な社会決定論者でもなかった。彼は、抵抗と従属の両方を抱えこむ、抱合的な歴史家でした。ただ、その抱えこみかたが、過程のどの層においても、選択を起こす能動性を人間の側に集め、自然を選別される側に置く、という意味で、非対称だったのです。

第10回までを書いてきた私には、この非対称な配分を、そのまま受け取ることはできません。第9回では、一本の葡萄樹のなかに、穂木と台木という複数種の界面が同居していることを見ました。第10回では、甲州というゲノムが、毎年の成熟ごとに、東アジア野生種に由来する領域とヨーロッパ系の領域とを、その年の温度や水や光と交渉させながら、「甲州であること」を組み立てなおしていることを見ました。これらの場面で能動的に働いていたのは、人間だけではありませんでした。葡萄の身体そのものが、台木が、微生物が、その年の気候が、それぞれの仕方で関与していた。── 第一節で私が「変わりつづける側」と呼んだもの、毎年の気候が葡萄の身体に効いてくるあの動きは、ディオンの過程のなかでは、人間の立てた基準に照らして「適した」と判定される側、選別される側に置かれてしまうものです。けれども第10回で見たかぎり、それは判定を待つ側どころか、「甲州であること」を毎年みずから組み立てなおしている、当の働き手だったのではないか。

だとすれば、第11回が向かうべき先は、こうなります。ディオンとともに、土地決定論を捨てる。けれども、ディオンを超えて、人間中心の構築論にも振り切らない。「土地が葡萄を作る」とも「人間が葡萄を作る」とも言い切らず、その両方の動きが互いを縺れさせている、ある関係の場として、テロワールを書き直す。第10回の終わりに予告した、「土地が葡萄を作るとも葡萄が土地を作るとも単純に言いきれない」という、あの両義の場へ。

そして、この書き直しの作業を、現代の研究者たちは、それぞれの仕方で、すでに始めています。次に、その五つの声を聴きに行きたいと思います。彼らがディオンの非対称な配分を、どう引き受け、あるいはどう組み替えているのかを、聴き分けながら。

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四|語られるテロワールの現在 ── 五つの声

ここから、現代の研究者を見ていきます。五人を選びました。立場も、依拠する思想の伝統も、分析の手つきも、それぞれに違います。けれども共通点がひとつあります。五人とも、テロワールを「土地のなかに、もともと在るもの」とは考えていません。テロワールは、議論され、実践され、語られるなかで、そのつど立ち上がってくる何かである ── この一点で、五人は重なります。第二節の終わりに残した捩れ、つまり、構築されたものでありながら現に人々の生を支える現実でもある、というあの事態を引き受けようとしているのが、この五人です。

重さはそれぞれに変えています。長く付き合う人もいれば、短く済ます人もいます。ただ、ひとつのことに注意を向けておきます。それぞれの議論のなかで、葡萄や土や微生物が、どの場面で出てくるか。これは第五節で使います。

ジュヌヴィエーヴ・テイユ ── 「テロワールは在るのか」という問いを、置きかえる

最初に、フランスの社会学者ジュヌヴィエーヴ・テイユ(Geneviève Teil)の議論を聴きます〔註17〕。彼女は、テロワールをめぐって、奇妙な対立があることから話を始めます。

一方に、科学者がいます。土壌を分析し、気候を測り、成分を調べる科学者にとって、テロワールという観念は、どうにも始末が悪い。これだけ調べても、「この土地がこの味を生む」という因果の鎖は、きれいには取り出せない。だから科学の側からは、テロワールはしばしば、実証できない思いこみ、あるいは商売のための語り、というふうに扱われてしまう。他方に、生産者や、ワイン商や、飲み手がいます。彼らにとって、テロワールは疑いようもなく実在する。このワインにはこの畑の何かが出ている、という手応えは、毎日の経験のなかで、確かにある。けれども、それを科学のように証明することは、できない。

この対立を前にして、たいていの人は、どちらが正しいのかと問います。テロワールは実在するのか、それとも幻想なのか、と。テイユが面白いのは、その問いの立て方そのものを、いったん脇へ置くところです。実在するか・幻想か、という二択をやめて、彼女はこう問いなおす。テロワールは、いかにして在るのか、と。どんな仕方で、それは在ると言えるのか、と。

これは、言葉遊びではありません。テイユの考えでは、ものには、いくつもの「在りかた」があります〔註18〕。机の上のコップのように、誰が見てもそこに在る、という在りかたもあれば、約束や、信頼や、評判のように、人々がそれを実在するものとして扱い、参照し、やりとりするなかで、確かに働いている、という在りかたもある。テロワールは、後者に近い。テロワールが「在る」のは、人々がそれについて語り、比べ、異を唱え、もう一度飲みなおし、格付けし、制度にする ── その尽きることのない営みのなかにおいてなのです。

ここで大事なのは、これが「語られるから虚構だ」という話には、ならないことです。むしろ逆です。語られ、比べられ、検証され、争われるからこそ、テロワールは実在する。第二節の終わりで、私はガルシアたちの捩れた仕事 ── クリマを脱神話化しながら、同時に世界遺産として登録する ── を前に立ち止まりました。テイユの議論は、あの捩れに、正面から答えるものです。構築されたものであることと、現実であることは、矛盾しない。構築する営みそのものが、それを現実にしているのだから。

この連載で私が用心してきた「分かったつもり」への警戒も、テイユのこの身振りと、どこかで重なります。在るか・ないかと問うてしまえば、答えはどちらか一枚の絵に収まってしまう。いかにして在るのかと問いつづけるかぎり、その絵は、たえず描きなおされていきます。── テイユの議論で葡萄や土が出てくるのは、人々が語り、比べ、検証する、その議論の場でした。

アントワーヌ・エニオン ── 味は、発見されるのではなく、感じられるようになる

テイユと近いところで、けれども少し違う角度から、味のことを考えてきた人がいます。同じくフランスの社会学者、アントワーヌ・エニオン(Antoine Hennion)です〔註19〕。

エニオンの問いは、こうです。私たちがワインの味を「分かる」とき、何が起きているのか。素朴に考えれば、こうでしょう。ワインのなかに味という性質があり、それを舌が感じとり、脳が認識する。味は、もともとそこに在って、私たちはそれを「発見」する、と。エニオンは、この素朴な図式を、ていねいにひっくり返します。

彼が見つめるのは、愛好家(アマチュア)が、実際に味わっているときの、その所作です。グラスを回し、色を見て、香りを嗅ぎ、口に含み、しばらく待ち、言葉をさがす。仲間と語らい、過去に飲んだ一本と比べ、また飲む。この一連の身ぶりのなかで、味は、だんだんと、感じとれるものになっていく。エニオンに言わせれば、愛好家は、すでにそこに在る味を受け取っているのではない。身体と、道具と、その場の言葉とを総動員して、自分を、味わえる身体へと、少しずつ仕立てあげているのです〔註20〕。

これは、第一節で書いた、私自身のカウンターの所作と地つづきです。私は甲州を説明しながら、お客様といっしょに、その味を感じとれる場をつくろうとしている。蒸し暑い夏のことを話し、扇状地の砂礫のことを話すのは、味わうための補助線を引いているのです。その補助線があってはじめて、お客様の舌に、ある味が立ち上がってくる。テイユが「テロワールという対象がどうやって在るものになるか」を問うたとすれば、エニオンは「味わう身体がどうやってその対象に結びついていくか」を問うた、と言えます。── エニオンにおいて葡萄や香りの分子が出てくるのは、人が味わっている、その口もとでした。

マリオン・ドゥモシエ ── ブルゴーニュは、ローカルであるほど、グローバルになる

三人目は、人類学者のマリオン・ドゥモシエ(Marion Demossier)です〔註21〕。彼女は二十年以上にわたって、ブルゴーニュの葡萄畑とそこに生きる人々を、フィールドワークの対象としてきました。

ドゥモシエの視点は、ディオンの慧眼を、現代へと延長したものだと、私は受け取っています。ディオンは、ブルゴーニュのワインの名声を、市場と都市の側から説明しました。ドゥモシエが見ているのは、その先です。今日のブルゴーニュにおいて、「その土地らしさ」そのものが、グローバルな市場、世界遺産という制度、観光、地域のアイデンティティ、そして気候変動 ── そうしたものの絡まりあいのなかで、たえず作りなおされている。彼女が描くのは、ローカルなものが、グローバルなものと切り離された素朴な「土地の味」としてではなく、むしろグローバルな流通と評価のなかでこそ、いよいよ「ローカルなもの」として磨かれ、輸出されていく、という逆説です。ブルゴーニュは、世界へ出ていくほどに、ますますブルゴーニュらしくなる。

この視点は、第二節で見たクリマの概念史や、世界遺産登録の話と、まっすぐつながります。ドゥモシエは、登録にあたって作られた宣伝映像のなかの、あの「土を舐める修道士」の場面にも、批判的な目を向けています〔註22〕。そして彼女は、人類学者としての自分の仕事を、こう位置づけます。人類学は、神話づくりに手を貸す仕事ではない。神話を、腑分けする仕事なのだ、と。── この一句は、テロワールを腑分けしようとしながら、その自分もまた毎晩それを語る側にいる、と認めてきた私にとって、ひとつの励ましのように響きます。ドゥモシエにおいて、葡萄や土が顔を出すのは、市場と、遺産化と、観光という、グローバルな舞台の上でした。

アンドレア・パヴォーニ ── 制度になったテロワールと、それを「冒す」身ぶり

四人目は、少し毛色が違います。法と感覚の問題を交差させて考える、アンドレア・パヴォーニ(Andrea Pavoni)です〔註23〕。彼が論じるのは、おもに自然派ワインの運動です。ここでは、その議論を、テロワール一般の話に広げすぎないように、慎重に紹介します。

パヴォーニは、いまのワインの世界を、二つの大きな力が支配している、と見ます。ひとつは、原産地を法的な領域として確定し、産地イコール品質保証とする、制度の力。AOCのような仕組みです。もうひとつは、ワインを消費者の好みへと差し出し、評点や市場価値へと還元していく、商品化の力。自然派ワインの運動は、この二つの力の両方に、同時に逆らおうとしている ── パヴォーニはそう読みます。彼はその身ぶりを、「冒瀆(profanation)」という、強い言葉で呼びます〔註24〕。

この「冒す」という語は、もとは、聖なるものとして囲い込まれ、手の届かないところに祭り上げられたものを、もう一度、人々の手のなかへ取り戻す、という意味あいを持っています。制度のなかで神聖化され、凍りついたテロワール。それを、ふたたび生きた手のなかへ引き戻そうとする運動として、パヴォーニは自然派ワインを描きます。── ここで重要なのは、パヴォーニの議論のなかで、ようやく、土や微生物といった人間でないものたちが、人間に味わわれる前の段階で、能動的な顔を出しはじめる、ということです。この点は、第五節で、もう一度拾います。そして、制度に凍りついたものを生きた手へ取り戻す、というこの主題は、次回以降、自然派ワインそのものを正面から扱うときの、大切な足がかりになります。

ジェニファー・スミス・マグワイア ── 「土地の味」は、違いの分かる者の語彙でもある

五人目、最後は、文化社会学者のジェニファー・スミス・マグワイア(Jennifer Smith Maguire)です〔註25〕。彼女が光を当てるのは、テロワールという語が、消費の文化のなかで果たしている、もうひとつの働きです。

ソムリエ、ワインの書き手、輸入商 ── こうした「あいだに立つ人々」が、何が良いワインかという価値の秩序を、日々つくっています。そのとき、テロワール、産地、真正性(オーセンティシティ)、唯一無二であること、といった語は、たいへん便利に働く。これらの語は、ワインを説明すると同時に、それを語る人・選ぶ人を、「違いの分かる者」として、そっと位置づけるからです。「この造り手のテロワールは特別で」と語るとき、私たちはワインについて語っていると同時に、自分がそれを見分けられる側にいることを、示してもいる。

これは、「はじめに」で書いた、私のヒエラルキーへの用心と、まっすぐにつながる論点です。地質の違いが優劣の違いへと翻訳されるとき、そこに価値判断が忍びこむ、と私は書きました。スミス・マグワイアが見ているのは、その翻訳が、ほかならぬ私たちの語りそのもののなかで、日々起きている、ということです。ただし、これを「テロワールなど違いの分かる者ぶるためのゲームにすぎない」という醒めた結論に落とすつもりは、私にはありません。テロワールは、現実の土地と実践に、確かに根ざしています。問題はそこではなく、その根ざしたものが、消費の文化のなかで差異化の語彙へと翻訳されていく、その翻訳のされかたのほうにあります〔註26〕。スミス・マグワイアにおいて、葡萄や土が顔を出すのは、価値づけと、識別と、語りの市場の上でした。

五つの声を、並べてみる

五人を見てきました。立っている場所は、それぞれに違います。テイユは、ものの在りかたを問う哲学のほうへ。エニオンは、味わう身体のほうへ。ドゥモシエは、フィールドワークの記述のほうへ。パヴォーニは、制度に抗する運動のほうへ。スミス・マグワイアは、消費の文化の分析のほうへ。とりわけテイユとエニオンは、依拠する思想の系譜という点で、互いに近いところにいます〔註27〕。残りの三人は、それぞれ別の学問の畑から来ていて、互いに引用しあうことも多くはありません。この五人は、ひとつの学派ではない。同じ結論を共有する仲間でもない。

それでも、五人には、たしかに通じあうところがあります。テロワールを、土地のなかに眠る不変の本質とみなし、その本質が品質の優劣を決めるとする見かた ── 第一節で見た、地質へと重心をかけた、あの「本質」の顔。五人はそれぞれのやり方で、この見かたをほどいてきました。確かな仕事だと思います。

ただ、五人の議論には、この通じあう仕事とは別に、五人自身が気づかずに共有しているものがあります。それは、葡萄や土が出てくる場所に関わっています。

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五|五つの声に共通する傾き ── 非人間は、どこで目を覚ますのか

五人とも、テロワールを作られるもの、語られるもの、立ち上がるものとして論じています。第10回までに私が辿ってきた方向と、よく重なります。けれど、第一節の終わりに書いた予感 ── 地質という本質を手放したあと、何が残るかで議論はもう一度分かれる ── が、ここで戻ってきます。

ひとつ、はっきりさせておきます。五人を「結局は人間の側に話を寄せている」とまとめるのは、当たっていません。テイユにせよエニオンにせよ、人間でないものを議論の中心に据えることが、そもそもの出発点でした。彼らは葡萄や土や道具や微生物を忘れてなどいない。むしろ、人間とそれらの絡まりを描くことに、仕事を賭けてきた人たちです。

問題は、忘れているかどうかではありません。葡萄や土が、どこで出てくるか、です。第四節で見たとおり、テイユでは議論の場、エニオンでは味わう口もと、ドゥモシエでは市場と遺産化の舞台、スミス・マグワイアでは識別の市場でした。どれも、人間が立ち会っている場所です。五人の議論で人間でないものが出てくるのは、決まって、人間がそこに居合わせる場面です。人間が語るとき、味わうとき、評価するとき、争うとき、そのときに葡萄や土は出てくる。人間が誰もいない場面で葡萄が独りで何かをしている時間は、五人の議論には、ほとんど描かれていません。

五人のなかで、パヴォーニだけは、すこし違います。第四節で見たように、彼は、制度に冒される手前の土や微生物が、人間に味わわれる前の段階で能動的な顔を出す、というところまで踏み込んでいました。五人のなかで、最も畑の側へ近づいた人です。けれど、そのパヴォーニにしても、関心の重心は、その能動的な非人間を、人間の実践がどう冒し、どう取り戻すかにあります。土や微生物が顔を出すのは、やはり、人間の実践がそれに触れる、その手前ぎりぎりのところまでで ── 葡萄が独りで夜を過ごしている、人間の触れない時間そのものへは、まだ伸びていないように思うのです。最も近づいた人でさえ、そうなのです。

第10回の甲州のゲノムの組み変わりは、誰も見ていない畑で起きていました。誰も味わわず、語らず、格付けもしない夏の夜のあいだに、葡萄の実のなかで、東アジア由来の領域とヨーロッパ由来の領域とが、その年の暑さや雨と交渉しながら、「甲州であること」をその年のぶんだけ組み立てなおしていた。人間がグラスを傾けるかどうかと関わりなく、進んでいた時間です。第一節で「変わりつづける側」と呼んだ、毎年の気候が葡萄の身体に効いてくる動きも、同じです。今年の夏が暑かったことは、誰が語ろうと語るまいと、葡萄の身体にすでに効いている。私がカウンターで「蒸し暑い夏でして」と言うより前に、葡萄はその夏を受け取り終えています。

ここまで来て、第一節のミクロクリマの話が、なぜ冒頭になければならなかったのかが分かります。気候学者ガイガーの微気候は「自然がそこに与えている局所の気候」でした。葡萄栽培学者スマートの微気候は「人が剪定と仕立てで作り出す気候」へと、意味を変えていた。スマートの微気候が出てくるのは、栽培家が剪定鋏を手にして畑に立った場面です。栽培家がいなければ、それは「管理すべき微気

台風ですね。今日は電車出勤で来る途中に図書館に寄り道。写真はワインを勉強しだした頃(35年前!)に読んだ本のひとつです。末尾の生産者へのアンケートで確認しておきたい箇所があったのですが、今となってはこういった生産者の声は、当時のワインの考え...
02/06/2026

台風ですね。
今日は電車出勤で来る途中に図書館に寄り道。
写真はワインを勉強しだした頃(35年前!)に読んだ本のひとつです。

末尾の生産者へのアンケートで確認しておきたい箇所があったのですが、今となってはこういった生産者の声は、当時のワインの考え方を教えてくれる貴重な資料に思えてきました。

2026/06/02(火)パセミヤ17時からの営業です。大阪は今日と明日は台風で交通機関に影響がありそうです。

最寄りの大阪メトロ四つ橋線肥後橋駅、京阪中之島線渡辺橋駅からですと、地下通路でパセミヤのある中之島ダイビルとつながっていますので、屋外に出ずにパセミヤまでお越しいただけます。

ご来店の際は、行き帰りの安全をご確認いただければと思います。

6月は今のところ比較的お席に余裕がございます。最近の傾向で、2〜3日前や当日など、直近でのお問い合わせが中心になっています。

ちなみに今日と明日はスカスカです。

今週は、ヨシヲ甲状腺の定期検診のため6/4(木)休みます。

パセミヤ営業案内 / Hours & Reservations
月〜金 / Mon–Fri:17:00〜21:30(最終入店 / last entry)
土・日 / Sat–Sun:15:00〜21:30(最終入店 / last entry)
事前予約制・不定休

ご予約について
先の日程のご予約は、南インド料理をベースにした軽めの前菜・煮込み2種のスパイスセット(おひとり様3,800円税込)をご希望のお客様のみお受けしております。

ワインとお好み焼きのみをご希望のお客様は、当日のお問い合わせにてお受けしております。

📝 先の日程のご予約は、お電話またはプロフィールのリンク先のWebフォームからどうぞ。

皆様からのご予約をお待ちしております。

昨日は、はじめましてのお客様や久しぶりのご来店の方だったり、皆さんの近況など聞けて、楽しい締めくくりでした。5月にご来店いただいた皆さま、ありがとうございました。2026/06/01(月)パセミヤ17時からの営業です。日本ワインとお好み焼き...
31/05/2026

昨日は、はじめましてのお客様や久しぶりのご来店の方だったり、皆さんの近況など聞けて、楽しい締めくくりでした。

5月にご来店いただいた皆さま、ありがとうございました。

2026/06/01(月)パセミヤ17時からの営業です。
日本ワインとお好み焼き、若干のスパイスでよければ、気軽にお問い合わせください。

皆さまからのお問い合わせをお待ちしております。

台風が近づいてきていますが、パセミヤは営業の予定です。

6月4日(木)は、ヨシヲの甲状腺定期検診のため休みます。

6月もどうかよろしくお願いします。

営業時間を17時とか15時からにして定着するまでに時間がかかるかなと考えていたのですが、はじめてみるといろんな使い方があるもんだなというご予約が続き、こちらとしてはお客様のスタートの時間帯が分散することもありゆっくりお話を伺うことが出来、も...
30/05/2026

営業時間を17時とか15時からにして定着するまでに時間がかかるかなと考えていたのですが、はじめてみるといろんな使い方があるもんだなというご予約が続き、こちらとしてはお客様のスタートの時間帯が分散することもありゆっくりお話を伺うことが出来、もっと早くに変更していたら良かったなと。
ただ、皆さん、新型コロナを経験したことで生活のなかの時間の過ごし方が変わったんだなと少し思うときも。

面白いのが両親のときは12時からアイドルタイム無しの21時までだったのですが、ちょっと親の時代のパセミヤのゆる〜い時間感覚に戻った気もします。

写真は豊中時代のパセミヤのもので、電話番兼休憩中の母タエコ。2009年くらい。

2026/05/31(日)パセミヤ本日はご予約の関係で17時オープンです。早い時間帯は混んでいます。遅い時間でよければ一度お問い合わせください。

明日以降のお問い合わせはWEBフォームからでもお受けしております。

プロフィールのリンク先からご利用いただけます。

日本ワインとお好み焼き、若干のスパイスをご用意して皆さまからのお問い合わせお待ちしております。

以前、ロンドン、シンガポール、台湾でお好み焼きを焼きました。その時に食材調達で困ったのが、豚バラ肉のスライスの入手が難しいことと、生食グレードの鶏卵がないことでした。これは食文化と制度の違いでもあり、平飼いのいいものは販売しているのですが、...
29/05/2026

以前、ロンドン、シンガポール、台湾でお好み焼きを焼きました。
その時に食材調達で困ったのが、豚バラ肉のスライスの入手が難しいことと、生食グレードの鶏卵がないことでした。これは食文化と制度の違いでもあり、平飼いのいいものは販売しているのですが、「生食する」ということを想定していない。

ロンドンの時は、豚バラ肉ではなくベーコンを使用したのですが、これはこれでアリかも、と思いました。

ほかにも食文化の違いはいろいろと興味深く、いい経験をさせてもらいました。

2026/05/30(土)
パセミヤ、本日は15時からの営業です。
日本ワインとお好み焼き、若干のスパイスをご用意して、皆さまからのお問い合わせをお待ちしております。

パセミヤ営業案内 / Hours & Reservations
月〜金 / Mon–Fri:17:00〜21:30(最終入店 / last entry)
土・日 / Sat–Sun:15:00〜21:30(最終入店 / last entry)
事前予約制・不定休 / Reservation required · Irregular holidays

ご予約について / About Reservations
先の日程のご予約は、南インド料理をベースにした軽めの前菜・煮込み2種のスパイスセット(おひとり様3,800円税込)をご希望のお客様のみお受けしております。

Advance reservations are available exclusively for guests ordering our spice set — a South Indian-inspired starter with two slow-cooked dishes (¥3,800 per person, tax included).

ワインとお好み焼きのみをご希望のお客様は、当日のお問い合わせにてお受けしております。

Guests wishing to enjoy wine and okonomiyaki only are welcome to contact us on the day of your visit.

📝 先の日程のご予約は、お電話またはプロフィールのリンク先のWebフォームからもどうぞ。

📝 For advance reservations, you're also welcome to call or use the web form linked in our profile.

皆様からのご予約をお待ちしております。
We look forward to welcoming you.

自宅近くのコンビニのワインの品揃えが素晴らしい。たまに行くとついつい眺めてしまいます。2026/05/29 (Fri.)パセミヤ、本日は早い時間帯は混んでいます。遅い時間でよければ一度お問い合わせください。日本ワインとお好み焼き、若干のスパ...
28/05/2026

自宅近くのコンビニのワインの品揃えが素晴らしい。
たまに行くとついつい眺めてしまいます。

2026/05/29 (Fri.)
パセミヤ、本日は早い時間帯は混んでいます。
遅い時間でよければ一度お問い合わせください。

日本ワインとお好み焼き、若干のスパイスをご用意して、皆さまからのお問い合わせをお待ちしております。

We are fully booked today. We are waiting for your reservations tomorrow.

Japanese wine, okonomiyaki, and a touch of spice await — we'd love to hear from you.

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パセミヤ営業案内 / Hours & Reservations

月〜金 / Mon–Fri:17:00〜21:30(最終入店 / last entry)
土・日 / Sat–Sun:17:00〜21:30(最終入店 / last entry)
事前予約制・不定休 / Reservation required · Irregular holidays

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ご予約について / About Reservations

先の日程のご予約は、南インド料理をベースにした軽めの前菜・煮込み2種のスパイスセット(おひとり様3,800円税込)をご希望のお客様のみお受けしております。

Advance reservations are available exclusively for guests ordering our spice set — a South Indian-inspired starter with two slow-cooked dishes (¥3,800 per person, tax included).

ワインとお好み焼きのみがご希望のお客様は、当日のお問い合わせにてお受けしております。

Guests wishing to enjoy wine and okonomiyaki only are welcome to contact us on the day of your visit.

📝 先の日程のご予約は、お電話またはプロフィールのリンク先のWebフォームからもどうぞ。

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リンク先は、「これまで構 築された中で最大の多言語食品モデルを訓練しました。410万レシピ。7言語。1,790の材料。300次 元。人類の料理すべてを2メガバイトに圧縮しまし た。」という記事。個人的にこういうフードペアリング的なものは興味...
28/05/2026

リンク先は、「これまで構 築された中で最大の多言語食品モデルを訓練しました。
410万レシピ。7言語。1,790の材料。300次 元。
人類の料理すべてを2メガバイトに圧縮しまし た。」という記事。

個人的にこういうフードペアリング的なものは興味があるので見るようにしているのですが、食材同士、または食材とワインをノードとしてネットワークモデルにしてしまうと接続が一義的になってしまい複数の関係性が見えなくなってしまうので他のモデルで表現する可能性を考えた方がいいように感じています。

文化依存による食材の組み合わせは比較的硬直性が高いのでリンク先のように図解しやすいかもですが、創発性は接続の緩い部分にも起こり得るので、多分平面図では難しいし三次元でも難しそう。ただこういうのって使いようで、使える人はどんどん活用できるし、凡庸な組み合わせとしか見ない人は見向きをしないので、可能性があるものについてはチェックしておいたほうがいいと思う。

2026/05/27 (Wed.)パセミヤ、本日はご予約の関係で18時より営業いたします。席に若干余裕がございます。日本ワインとお好み焼き、スパイスの一品をご用意して、皆さまからのお問い合わせをお待ちしております。Pasania is op...
26/05/2026

2026/05/27 (Wed.)
パセミヤ、本日はご予約の関係で18時より営業いたします。
席に若干余裕がございます。
日本ワインとお好み焼き、スパイスの一品をご用意して、皆さまからのお問い合わせをお待ちしております。

Pasania is open today from 6 PM.
We still have some availability today.
Japanese wine, okonomiyaki, and a touch of spice await — we'd love to hear from you.

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パセミヤ営業案内 / Hours & Reservations

月〜金 / Mon–Fri:17:00〜21:30(最終入店 / last entry)
土・日 / Sat–Sun:17:00〜21:30(最終入店 / last entry)
事前予約制・不定休 / Reservation required · Irregular holidays

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ご予約について / About Reservations

先の日程のご予約は、南インド料理をベースにした軽めの前菜と煮込み2種のスパイスセット(おひとり様3,800円税込)をご希望のお客様のみお受けしております。

Advance reservations are available exclusively for guests ordering our spice set — a South Indian-inspired starter with two slow-cooked dishes (¥3,800 per person, tax included).

ワインとお好み焼きのみがご希望のお客様は、当日のお問い合わせにてお受けしております。

If you'd like wine and okonomiyaki only, please contact us on the day of your visit.

📝 先の日程のご予約は、お電話またはプロフィールのリンク先のWebフォームからもどうぞ。

📝 For advance reservations, you're also welcome to call or use the web form linked in our profile.

皆様からのご予約をお待ちしております。
We look forward to welcoming you.

 #葡萄のかたわらで 第10回|甲州とその隣人たち ── 中心と周縁という概念の終わり第9回では、一本の葡萄樹のうちに、複数種の界面が層をなして同居していること、すなわち、穂木と台木のあいだの graft 的な界面と、根と土壌のあいだの s...
25/05/2026

#葡萄のかたわらで 第10回|甲州とその隣人たち ── 中心と周縁という概念の終わり

第9回では、一本の葡萄樹のうちに、複数種の界面が層をなして同居していること、すなわち、穂木と台木のあいだの graft 的な界面と、根と土壌のあいだの sympoietic な界面が、地上から地下へ降りていく一本の身体のなかに、性格の異なる二つのものとして同居していることを、書いた。フィロキセラ後の葡萄はそのように、複数種で立っている、と。

第10回では、視点を樹から品種へずらす。一本の樹ではなく、「甲州」と呼ばれる一つの単位、そしてその隣に並ぶいくつかの単位を見る。日本のワイン関係者の手元にもっとも近い品種、いまや国際的にも認知されつつある甲州が、いったいどのような単位として読めるのか。第9回が示した「一本の樹のうちの複数種」は、品種の側に降りていくとどう動くのか。

結論を先取りすれば、こうなる。甲州という品種そのものが、複数の系譜の縺れから事後的に編み出された単位であり、しかもその縺れは、一度ある時点で完了したのではなく、毎年の成熟ごとに反復され、いまも進行中らしい。そしてこの「縺れから編み出された単位」というありようは、甲州ひとつに固有のものではなく、甲州三尺、龍眼、和田紅、紫、聚楽といった、日本や中国の古い在来品種が、それぞれ異なる度合いと異なる仕方で共有している。これらの品種は、「ヨーロッパの純粋なヴィニフェラ品種」という一つの型には、どれも、おさまりきらない。そして、おさまりきらない、というその度合いそのものが、いまだに測りきられていない。

「甲州」とは、固定された個体ではなく、緩やかに進行中の出来事の名前として読み直したほうがいい。そして、その出来事のありようが、知りえない仕方でも、定まっていない仕方でも、まだ確定していない ── というのが、この回でひらいてみたい問いである。

このことを書こうとすると、ある神話の近くに立つことになる。シルクロードを通って、奈良時代、行基菩薩によって伝えられた日本最古の葡萄。業界や教科書で広く共有されてきた、もっとも流通量の多い語りである。この回では、その語りを批判するためにではなく、その語りがどのような資料の層から立ち上がってきたかを、文献に依拠して辿りなおしてみたい。山梨の大善寺にも新潟の岩の原にも、私は足を運んだことがない。書いていけるのは、資料と数字を介して、遠くから像を組み直すところまでである。

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# # # 一|行基伝説と雨宮勘解由伝承の出典をたどる

甲州ぶどうの起源をめぐる二つの伝承が、現在の業界・観光・行政の語りの底に置かれている。ひとつは大善寺の行基伝説、もうひとつは勝沼の雨宮勘解由伝承である。文献を辿るかぎり、両者の文書化の時期は、いずれも近代に属するように見える。

大善寺は、山梨県甲州市勝沼町に所在する真言宗智山派の寺である。寺自身が公表している縁起によれば、養老二年(七一八年)、行基菩薩が日川渓谷の岩上で霊夢により薬師如来を感得し、葡萄を手にした薬師三尊を刻んで安置したのが寺の開創とされている〔註1〕。本尊の薬師如来は、葡萄を手にした姿で知られる。寺伝はここまでであり、「行基が葡萄を村人に伝授した」という付加的な物語は、寺の縁起頁そのものには明示されていない。一般に流通している語りでは、この部分が太字になっている、というずれがある。

文書記録の側から見ると、大善寺について残されている同時代史料のうち、現在確認できる最古のものは、延慶三年(一三一〇年)の関東下知状とされる〔註2〕。奈良時代の創建を直接に裏づける同時代文書は、現在のところ知られていない。本尊薬師如来像の制作年代についても、平安時代前期と見るのが研究上の通説と紹介されている〔註3〕。すなわち、寺伝の年代と、文書および像様式に基づく年代の推定とのあいだには、五百年から六百年ほどの距離がある。像が手にする葡萄の持物についても、その現状や来歴は資料によって記述が一定せず、確認を要する〔註4〕。

この距離をどう読むかが、第10回の入口の論点になる。

寺伝そのものを「虚偽」と片づけたいわけではない。むしろ考えやすいのは、行基その人が葡萄栽培を伝えた、というよりも、行基草創の伝承をもつ大善寺の薬師信仰に、その地にすでにあった葡萄の記憶が、どこかの段階で接ぎ合わされた、という見方のほうである。現在の寺伝では、行基が葡萄を手にした薬師如来を感得した、と語られる。けれども、その薬師如来像は平安時代の作とされる。奈良時代の開創伝承と、平安期の像とのあいだに横たわる時間差を踏まえるなら、葡萄という要素は、奈良時代の出来事の直接の記録というよりも、薬師像と、寺の縁起と、土地の産物の記憶とが重なり合うなかで、後から像や縁起のうちに編み込まれていった象徴として読むほうが、史料には無理が少ない。

ただし、その葡萄要素が、いつ、どの層で加わったのかは、確定できない。奈良時代の行基伝承に最初から属していたのか、平安期以降の薬師像と寺伝の形成のなかで結びついたのか、それとも近世から近代にかけて地域の産物の記憶と結びついて強められたのか ── そのどれであるかは、現存する資料からは決めきれない〔註3〕。決めきれないことを、ここでは無理に閉じない。確かなのは、像の年代と寺伝の年代に開きがある以上、葡萄要素を「後から重なった層」として読む余地が、十分にある、ということだけである。神話が立ち上がるのは、原典に虚偽が書かれているからではなく、いくつもの層 ── 寺院の縁起、薬師の信仰、土地の産物、そして近代のワイン産業 ── が、ある時期にひとつの語りのなかで重ね合わされ、引用され、太字になっていく、その過程による。これが、ここで仮に置いておきたい作業仮説である。

もうひとつの伝承、雨宮勘解由について見ておく。文治二年(一一八六年)、勝沼の地侍・雨宮勘解由が自生の山ぶどうとは異なる蔓植物を発見し、自宅に植えて結実させたのが甲州ぶどうの始まりである、というかたちで現在の山梨県の観光案内などに掲載されている。同じ案内の出典欄を辿ると、山梨県連合婦人会が編集発行した『ふるさとやまなしの民話』(平成元年、一九八九年)に行きつく〔註5〕。行政アーカイブのレベルで遡れるのは、この一九八九年の編纂物までである。

ではこの伝承自体は、いつから書かれていたのか。

ここで、もうひとつ別の資料に行きあたる。福羽逸人『甲州葡萄栽培法 上巻』(明治十四年、一八八一年)〔註6〕。著者の福羽逸人は、明治政府が育成した農学者で、後に播州葡萄園を率い、新宿御苑を任された園芸家である。福羽は明治十一年(一八七八年)の秋、東京の篤農家・津田仙の紹介で甲州地域に入り、上岩崎の雨宮家を訪れて当主から「勘解由説」と、土地に伝わる徳本棚かけ法の由来を聞きとった、と伝えられている。三年後、彼は『甲州葡萄栽培法』を刊行した。

その本文を開くと、第一章「甲州地方葡萄樹繁殖来歴」のなかで、雨宮勘解由の話は「舊記ニ據レバ(旧記によれば)」という距離の置き方で書き起こされている〔註6〕。文治二年、八代郡の祝村に住む者が、石尊宮の祭礼の折に路傍の自生の蔓植物を見つけて持ち帰った、という筋である。徳本については、棚かけ法を伝えた「老醫(老医)」として、その功徳が語られる。さらに第一章は、源頼朝や武田氏への献上、徳川家康の世への記録、そして甲州各地(膝沼村、横根村、大門村、市川など)へ葡萄が分け植えられていった経緯を、いくつもの「期」に分けて辿っていく。福羽は、これらを自分が確かめた事実としてではなく、旧記と土地の言い伝えを引くかたちで、慎重に書きとめている。

ひとつ、注意して書いておきたいことがある。この第一章で前面に出るのは、勘解由の発見譚と、徳本の棚かけ法と、武田・徳川期の記録と、甲州各地への分植の歴史である。大善寺の行基伝説は、第一章を通読するかぎり、見あたらない。後世の二次資料のなかには、福羽がこのとき柏尾の大善寺にも立ち寄って行基伝説を取材した、と記すものもあるのだが、少なくとも本書の「繁殖来歴」の章に、行基は書き込まれていない。とすれば、行基伝説が甲州の起源神話の中心にすわるのは、福羽がこの章を書いた時点ではなく、もっと後の編集によるのかもしれない ── この見立ては、なお開いたまま、第11回以降に持ち越したい〔註7〕。

整理すると、雨宮勘解由伝承と徳本の由来は、現在私が確認できる範囲では、近世以前の同時代史料には遡りにくく、近代の活字メディアに乗ったかたちでは、福羽の旧記引きと聞き書きを通じて流通したらしい、ということになる。福羽以前の文書、たとえば『甲斐国志』(江戸後期)などにこれらの伝承の萌芽が含まれていないかは、本文のさらなる確認を要する〔註7〕。

福羽が「虚偽」を書いたわけではない、ということを、もう一度確認しておく。旧記と、雨宮家で聞いた話を、明治の農学者として、慎重に書きとめたものとして読むのが妥当である。問題は、ひとりの旧記引きと聞き書きが活字となって流通し、明治の殖産興業政策のなかで、戦前のブランディングのなかで、戦後の観光産業のなかで、そして二十一世紀のグローバルなワイン文化のなかで引用と引用を重ねるうちに、「日本最古の葡萄品種の起源神話」と呼ばれるしかない場所にいつのまにか着地していた、そのプロセスの側にある。なお、この本書の刊行そのものが、各地で産地名で呼ばれていた在来葡萄に「甲州」という品種名を与え、定着させる契機になった、という見方もある〔註6〕。

ひとつ書き添えておくと、これらの起源伝承は、甲州という一品種に集中して付着している。後で触れる甲州三尺や龍眼、紫、聚楽といった在来品種には、これほど整った起源神話がない。神話が甲州にだけ濃く凝集していること自体が、甲州が近代に「日本を代表する一品種」として選び出された、その選別の痕跡である、と読むこともできる。

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# # # 二|物質と人の動きの累積として

伝承の出典の側からだけでは見えてこないものを、別の資料の系列から拾いなおしておく。栽培技術と、人の往来と、最初の醸造をめぐる、十六世紀から明治期にかけての、地味な累積である。

まず、葡萄棚の系譜である。永田徳本(一五一三〜一六三〇?)は、十六世紀から十七世紀にかけて武田信虎・信玄に仕えた漢方医で、晩年に勝沼で葡萄棚架法を改良し、村人に伝授したとされる人物である〔註8〕。「甲斐の徳本」と呼ばれた。竹を編んだ棚に蔓を這わせる、いわゆる「棚仕立て」。垣根仕立てが主流だったヨーロッパとは異なる、東アジア特有の栽培形態である。

この棚は、明治の世紀のなかで素材を変えていく。明治十二年(一八七九年)、上岩崎の雨宮作左衛門が竹を細い鉄棒に替える。明治三十一年(一八九八年)、勝沼郵便局長の若尾勘五郎が、電信線の配架法を参考に鉄線を張った棚を編み出した〔註9〕。電信のインフラと、葡萄のインフラが、ある時期に同じ素材と同じ張力で結び直された、と読める。

ここで重要なのは、徳本の竹棚も、雨宮作左衛門の鉄棒棚も、若尾勘五郎の鉄線棚も、シルクロードからの輸入品ではない、ということである。これらは勝沼という土地のなかで、人と素材と必要が触れ合いながら、層を重ねるようにして編まれていった、現地化の積み重ねとして読める。

並行して、人の往来も動いている。明治十年(一八七七年)八月、勝沼の有志たちは大日本山梨葡萄酒会社(祝村葡萄酒会社)を設立した。同年十月、まだ二十代の若者だった高野正誠と土屋助次朗の二名が、フランス語をろくに話せないままシャンパーニュおよびボルドーへ派遣された〔註10〕。彼らは明治十二年に帰国し、最初の年に約二・七キロリットルのワインを醸造したとされる。

時系列で並べると、こうなる。十六世紀の徳本の竹棚。一三一〇年の関東下知状(大善寺)。文治二年とされる雨宮勘解由伝承。一八七七年の渡仏。一八七九年の最初の醸造と、同年の竹から鉄棒への置換。一八八一年の福羽『甲州葡萄栽培法』。一八九八年の鉄線棚。一九八九年の『ふるさとやまなしの民話』。

これらの異なる時間が、現在の「シルクロードを通って奈良時代に伝来した」という一本の語りに、後から整理し直されている。神話というよりも、ある編集の累積物、と言ったほうが資料の感触に近い〔註11〕。福羽の聞き書きを、明治国家の殖産政策が引用し、戦前の山梨県のブランディングがそれを引き継ぎ、戦後の観光産業が太字にし、二十一世紀のOIV登録が制度的に裏書きする。引用の連鎖が、輪郭をもった「神話」を組み立てる。

棚の素材の変遷の年表のかたわらに、葡萄樹の身体そのものの「現地化」の年表もまた、書き入れることができる可能性がある。文書がそれを直接保証してはくれない。けれども、現地化の物質的な層が見えてくるなら、樹の側の層についても、おそらく同じ問いを立てることができる、と仮に置いてみたい。その問いに、近代以降の遺伝学が、ひとつの答えの断片を差し出している。

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# # # 三|五つの品種を、ひとつの物差しで測る

二〇一五年、独立行政法人酒類総合研究所の後藤奈美と、カナダのダルハウジー大学のジェイソン・ソウラー、ショーン・マイルズの三名による論文が、PLOS ONE 誌に掲載された〔註12〕。この論文を、第10回はやや詳しく辿りたい。なぜなら、この論文は甲州を単独で扱ったのではなく、東アジアの五つの品種を、ひとつの同じ物差しで並べて測った、数少ない仕事だからである。

物差しの作り方を、まず正確に書く。著者らは、四十八の祖先情報を持つ一塩基多型(AIM-SNP)を用いた。これは、ヨーロッパの栽培種 *Vitis vinifera* と、東アジアの野生 *Vitis* 種とを、はっきり区別できる多型を選んだものである。物差しの両端には、三十三のヴィニフェラ品種と、三十三の東アジア野生種が、それぞれ「基準集団」として置かれた。そのうえで、五つの東アジア品種 ── 日本の甲州と甲州三尺、中国の龍眼、和田紅(Huotianhong)、白鶏心(Baijixin)── を、この物差しのどこに乗るかで測った。加えて、母系の系譜を見るために、葉緑体DNAの部分配列も読まれた。

結果を、五品種について並べてみる。

甲州は、核ゲノムの約七一・五パーセントがヴィニフェラ由来、残りの約三割が東アジア野生種由来と推定された。葉緑体DNA、すなわち母系は、ヴィニフェラ型ではなく、中国の野生種 *V. davidii*(トゲブドウ)あるいはその近縁種の型だった。五品種のなかで、母系が野生種型なのは甲州だけである。

甲州三尺は、約八一・八パーセントがヴィニフェラ由来。甲州より野生成分が少ない。そして母系は、ヴィニフェラ型 ── シャルドネと同一の葉緑体配列だった。名前に「甲州」を含むが、母系の向きは甲州と逆である。

龍眼は、約九一・七パーセントがヴィニフェラ由来。母系もヴィニフェラ型。日本では善光寺ぶどうとも呼ばれ、長野の善光寺周辺の在来種として知られる〔註13〕。

和田紅は、約九〇・四パーセントがヴィニフェラ由来。母系もヴィニフェラ型。龍眼とほぼ同じ位置にある。

白鶏心は、約一〇〇パーセントがヴィニフェラ由来。物差しのうえでは、ほぼ純粋なヴィニフェラ品種と判定された。

五つを並べてみると、ひとつの像が浮かぶ。これらの品種は、「純粋なヴィニフェラ」と「野生種との雑種」という二つの箱にきれいに分かれるのではなく、約七割から約一〇割までの、連続したグラデーションのうえに、ばらばらに散らばっている。白鶏心がほぼ純粋なヴィニフェラの端にあり、甲州がもっとも野生種の混じった端にある。甲州三尺、和田紅、龍眼が、その間に散らばる。野生種の混じり具合は、品種ごとに、段階的に違う。

そして、母系の向きという、もうひとつの軸がそこに重なる。核ゲノムの混じり具合では連続的に並ぶ五品種が、母系の型では、甲州だけがくっきりと他の四つから分かれる。甲州だけが、東アジア野生種を母として持つ。残る四つは、母方がヴィニフェラである。混じり具合のグラデーションと、母系の向きの分岐とは、別の軸として働いている。

論文は、この結果から、甲州について最も単純な仮説を立てている。すなわち、F1雑種(*V. davidii* 様の野生種 × ヴィニフェラ)に、第二のヴィニフェラがかかった、という像である。甲州の若い枝の付け根に小さなトゲがあるのは、トゲブドウである *V. davidii* 由来の「祖母似」の性質かもしれない、とも書かれている。

ここまでが、論文が差し出した像である。ここから先は、その像を支えている物差しのほうに、目を移したい。

「約七一・五パーセントがヴィニフェラ」という数字は、どこから出てきたのか。それは、物差しの両端に置かれた三十三のヴィニフェラ品種と、三十三の東アジア野生種という、二つの基準集団からの距離として算出された比率である。つまり、別のヴィニフェラ集団、別の野生種集団を両端に置けば、同じ甲州でも、数字はわずかに動く。「七一・五パーセント」は、甲州の身体に内在する固有の数値ではなく、ある特定の物差しのうえに甲州を乗せたときに現れる、関係的な値である。

このことは、近年の葡萄ゲノム研究が用いるリファレンス ── 基準配列 ── を見ると、いっそうはっきりする。二〇二六年の林尚之・鈴木俊二の論文では、甲州とシャルドネの果肉のトランスクリプトームが比較された〔註14〕。そこで、リファレンスゲノム *Vitis vinifera* PN40024 への、リードのマッピング率という数字が報告されている。シャルドネでは平均九十四・六パーセント、甲州では平均七十三・九パーセント。甲州のゲノムのおよそ四分の一は、現在のリファレンスでは捕捉しきれない。著者らはこの差を、甲州の *V. davidii* 由来の祖先系統に起因する配列分岐の反映として説明している〔註15〕。

ここで、PN40024 とは何だったのかを、確認しておきたい。フランスの研究グループ Velt らが二〇二三年に発表したリファレンスゲノムの改訂版報告書によれば、PN40024 は、これまで通説とされてきた「ピノ・ノワール由来」ではなく、ピノ・ノワール × シアヴァ・グロッサ(Schiava grossa)の交雑品種「ヘルフェンシュタイナー(Helfensteiner)」を、九世代にわたって自家受粉させて得られた、高度な近交系統である〔註16〕。「*Vitis vinifera* の標準」とされてきた配列は、もともとは交雑品種から、近交によって意図的に遺伝的多様性を削いだ系統に由来していた。

つまり、甲州の「外れた二六パーセント」も、五品種の「偏差」も、ある特定の物差し ── 特定のヴィニフェラ基準集団、特定の野生種基準集団、特定のリファレンスゲノム ── のうえに乗せたときに、はじめて立ち現れる。物差しを組み替えれば、偏差の現れ方も変わる。たとえば、複数の系統を線形ではなくグラフ状に重ね合わせる「パンゲノム参照」と呼ばれる新しい物差しが、ヒトゲノム研究の側で、単一の標準参照という考え方そのものを組み替えつつある〔註17〕。葡萄の側でも、近い試みが進みはじめている。線形の単一基準ではなく、複数の系統の差異と共通性を同時に保持する物差しの上では、五品種の偏差は、おそらく別のかたちで現れる。

ここで言いたいのは、どの物差しが正しいか、ということではない。五品種の偏差を「測る」という行為そのものが、すでに、何を「中心」とし何を「外れ」とするかをあらかじめ含んでいる、ということである。ヴィニフェラを物差しの片端に固定する。すると、東アジアの品種たちは、その端からの距離 ── 偏差 ── として並ぶ。けれども、物差しの端を別の場所に移せば、距離は組み替わる。偏差とは、品種の側にある性質ではなく、品種と物差しが触れ合うところに生まれる関係の効果である〔註18〕。

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# # # 四|測られていないもの、定まっていないもの

ここまでで、五つの品種が、ひとつの物差しのうえに偏差として並ぶ像を見た。しかし、第10回がいちばん立ち止まりたいのは、この像の手前と、その先である。

手前から始める。

Goto-Yamamoto らが測ったのは、五つの品種である。けれども、日本と中国の在来品種は、五つではない。日本の在来種一覧を開くだけでも、甲州、甲州三尺、龍眼(善光寺ぶどう)に加えて、紫(むらさき)、聚楽、高浜ぶどうといった名前が並ぶ〔註19〕。山梨や大阪の古い醸造元のなかには、樹齢百年前後の甲州の古木や、龍眼、甲州三尺、紫といった在来品種から、それぞれワインを醸しているところもある〔註20〕。これらの品種の多くは、Goto-Yamamoto らの物差しでは、まだ測られていない。

つまり、聚楽が、高浜が、ヴィニフェラと東アジア野生種のグラデーションのどこに乗るのか ── その数字を、私たちはまだ持っていない。甲州三尺が約八一・八パーセント、龍眼が約九一・七パーセントという数字の隣に、それらの数字を書き込むことは、現在の資料ではできない。空欄である。

この空欄は、第10回にとって、些細な欠落ではない。むしろ、いちばん大事な事実のひとつである。私たちが「甲州は約七割がヴィニフェラ」と語れるのは、たまたまその品種が測られたからにすぎない。測られていない品種については、それがどんな縺れの所産なのか、母系が野生種型なのかヴィニフェラ型なのか、何ひとつ確定できない。在来品種の偏差の全体像は、ごく一部しか描かれていない地図のようなものである。

これが、確定不能性のひとつめの顔である。知りえないこと ── すなわち、認識論的な不確定。測定がまだなされていない。サンプルが足りない。甲州について言えば、論文自身が明記しているように、残りの三割を構成する東アジア野生種が、何種類の、何という種なのかは、確定できない。それらの種は、絶滅したか、まだ同定されていないか、あるいは現在の解析から単に欠落しているかもしれない、と〔註21〕。これらは、原理的には、より良い物差しと、より多くのサンプルがあれば、埋められるかもしれない空欄である。知識の側の限界として、確定していない。

ただし、測れば確定する、とも限らない。ここに、ひとつ示唆的な例がある。「紫(むらさき)」と呼ばれる品種である。近畿地方で江戸時代から栽培されてきたとされ、現存するのは、大阪府環境農林水産総合研究所に保存されている一樹のみが知られている〔註22〕。この一樹の「紫」と「甲州」とで、二十六のSSR遺伝子座を解析したところ、すべての座で両者は一致した。果皮のアントシアニンの含量も組成も、紫は甲州の範囲内におさまった。ところが、研究者はそこに留保を重ねている。同じ品種と考えることもできる。だが、紫と甲州はもともと別品種でありながら混在して栽培されてきたため、分析した「紫」が、取り違えられた甲州である可能性も否定できない。あるいは、本来の紫はすでに失われ、いま残っているのは別のものかもしれない。結論は、慎重に宙づりにされている。現存する「紫」は、甲州と同じ品種なのか、きわめて近い別品種なのか、取り違えられた甲州そのものなのか ── 測定はなされた。にもかかわらず、確定していない。

これは、測定の不足とは別の事態である。SSR解析という物差しは、二十六の座にわたって、すでに当てられた。けれども、その物差しが返した「すべて一致」という答えは、「同じ品種」とも「混在して取り違えられた」とも読める。「紫」と「甲州」が畑のなかで混ざり合って育っていた、というその栽培の事実そのものが、品種という単位の輪郭を、測定の手前でほどいてしまっている。名前は二つある。樹は、その区別を知らずに育ってきた。

しかし、確定不能性には、もうひとつの顔がある。

それは、知識の側の限界ではなく、対象の側のありようにかかわる。定まっていないこと ── すなわち、存在論的な不確定である。

東アジア東部の森を、資料を通して輪郭づけてみる。中国南部から朝鮮半島、日本列島へと広がる温暖湿潤な森の連なりのなかで、複数の *Vitis* 種が、互いに完全には分離しきれないままに、長い時間にわたって生きてきた、というのが、現在の系統分類学が示している像である〔註23〕。*V. davidii*、*V. amurensis*、*V. coignetiae*、*V. flexuosa*、*V. ficifolia*。これらの種は、いまでも互いに交雑可能である。*Vitis* 属の種は、ほとんどすべてが二倍体で、種間の境界が、よその植物属に比べると、ゆるい。

この「ゆるさ」は、議論の前提として軽視できない。私たちはふつう、「種」というものを、固い境界のなかにあるものとして扱う。犬と猫、牛と豚、桜と梅。それぞれの種は、別々の世界をもって生きている。けれども葡萄属においては、その固さが、よその植物属ほどには、ない。同じ場に居合わせれば、種の壁を越えて、花粉が飛び、種子が結ばれる。少なくとも生殖隔離の壁は、人間が想定するよりずっと低いところにある。

Goto-Yamamoto らの論文には、この「ゆるさ」を示す、さりげないが重い観察がある。葉緑体DNAで見ると、同じ一つの種に属するはずの個体が、いつも一か所に集まるとは限らず、しばしば、別の種の個体よりも遠くに離れて散らばった、というのである〔註24〕。著者らはこれを、整理上の誤りか、あるいは「不完全な系統仕分け(incomplete lineage sorting)」 ── 種が分かれたあとも、古い多型が複数の種にまたがって残りつづける現象 ── のせいかもしれない、としている。どちらにせよ、「種」という単位が、葡萄においては、私たちが思うほどきれいに閉じていない、ということを、この観察は示している。

すると、こういうことになる。仮に、すべての在来品種を、完璧な物差しで測りきったとしても ── 認識論的な空欄をすべて埋めたとしても ── 「これはヴィニフェラ品種であり、あれは野生種との雑種である」という線を、どこか一か所にきっぱりと引くことは、おそらくできない。なぜなら、引くべき線そのものが、対象の側に、定まった形で存在していないからである。ヴィニフェラと野生種のあいだに、自然が引いた一本の境界線があって、それを私たちが見つけそこねている、というのではない。境界そのものが、連続したグラデーションのなかに溶けている。これが、存在論的な不確定である。

この二つの不確定 ── 知りえないことと、定まっていないこと ── は、別のものである。前者は、原理的には、よりよい測定で埋まりうる空欄である。後者は、どれだけ測定を重ねても埋まらない。なぜなら、そこには、見つけられるべき確定した事実が、もともと無いからである。第10回が問いとして開きたいのは、この二つが、葡萄という植物において、分かちがたく重なっている、という事態である。聚楽や高浜を、私たちはまだ測っていない(知りえない)。そして、すでに測られた紫が示すように、仮に測ったとしても、それが「甲州と同じ」なのか「近い別品種」なのか「混在の末に取り違えられたもの」なのかは、定まらない(定まりえない)。測定の手前に空欄があり、測定の先にも、なお宙づりが残る。

ここで、ひとつ確認しておきたい。甲州というかたまりは、ある過去の一点で完成し、あとはその完成形が静的に保持されている、というものではない、ということが、二〇二六年の論文から逆算できる。林と鈴木の論文が示しているのは、véraison(ヴェレゾン、ベリーが色づきはじめる成熟転換期)後十日の果実のなかで、五千五百を超える遺伝子が、シャルドネとは異なる仕方で発現している、ということだった。光合成は維持され、糖の蓄積は抑えられ、細胞壁はゆるまず、糖は液胞から外へ汲み出される。著者らはこれを、シャルドネで確立された成熟モデルから逸脱した、別種の成熟プログラムとして提示している。これは、甲州というゲノムが、毎年の成熟ごとに、東アジア野生 *Vitis* に由来する領域とヨーロッパ *Vitis vinifera* に由来する領域が、その年の温度・水・光と交渉しながら、「甲州であること」を、いま、再び組み立てている、というふうに読むことができる。

来年は、また、ちがう温度と、ちがう降雨と、ちがう光のなかで、その組み立てが、もういちど起きるはずである。甲州とは、固定された個体ではなく、毎年再演されているひとつのプロセスの名前として読み直したほうが、現在の資料には忠実だろう。そうであれば、「甲州とは何か」を一度きり測定して確定する、という発想そのものが、対象のありように追いついていない。測定は、ある年の、ある果肉の、ある断面を捉える。けれども甲州は、その断面の手前で、毎年、組み変わりつづけている。

そして、ここがおそらく中核なのだが、いま述べてきたことは、甲州だけのことではないだろう。甲州三尺も、龍眼も、和田紅も、そしてまだ測られていない紫も聚楽も、それぞれの度合いで、複数の系譜の縺れであり、それぞれの仕方で、毎年組み変わりつづけている。葡萄という植物そのものが、おそらくそのような身体を持っている。第9回で扱った、graft の界面と sympoiesis の界面の同居も、別の言い方で、同じことを指していたのかもしれない〔註25〕。

ここから、ひとつの見方が開ける。「純粋なヴィニフェラ品種」というありよう ── シャルドネやピノ・ノワールに代表される、母系も核ゲノムもヴィニフェラで揃った、よく記録され、登録され、境界の明確な品種 ── は、ワイン用葡萄の唯一のありようではなく、数あるありようの、ひとつにすぎない。甲州のように、母系を野生種に持ち、核の三割が確定不能な品種。甲州三尺のように、母系はヴィニフェラだが核に二割の野生成分を持つ品種。龍眼や和田紅のように、ほとんどヴィニフェラだがわずかに揺らぐ品種。紫のように、測ってもなお甲州との境界が宙づりになる品種。そして聚楽や高浜のように、まだ測られず、どこに乗るかも定まっていない品種。これらは、「純粋なヴィニフェラ」という型からの逸脱や、その不完全な近似なのではない。葡萄がワイン用の品種になる、その複数のありようの、それぞれ異なる相である。

ヨーロッパの純粋なヴィニフェラ品種を中心に置き、東アジアの品種をその偏差として測るという身振りは、便利ではあるが、ひとつの選択にすぎない。その選択を外してみれば、そこにあるのは、中心からの距離で測られるべき周縁ではなく、それぞれに確定不能なまま、それぞれの仕方でワインになっていく、複数の葡萄たちである。

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# # # 五|番号三九八六

ここで、対比軸として、別の資料の系列に視点を移す。これまで見てきた在来品種が、いずれも「作った人」を持たない、長い時間の所産だったのに対し、はっきりとした作者と年月日を持つ、もうひとつのありようを置いておきたい。

新潟県上越市、北方地区。一八六八年に生まれ、一九四四年に亡くなった川上善兵衛という人物がいた。越後高田の豪農の家に生まれ、勝海舟との交流のなかで殖産興業の思想に触れ、二十二歳のとき、自宅敷地内に「岩の原葡萄園」を開設したと伝えられる。一八九〇年(明治二十三年)のことである〔註26〕。

川上の仕事の特異さは、一九二二年(大正十一年)以降に始まる、本格的な品種改良の実践のなかにある。彼はメンデルの法則を書物を通じて学び、岩の原葡萄園に海外から取り寄せた葡萄の苗を植え、母品種と父品種を選んで人為的に交配を行い、種子から得た子苗を圃場に並べていった。岩の原葡萄園自身の記録によれば、川上が行った交配の総数は一万三百回を超えるとされる〔註27〕。そこから一千百株ほどが結実するまで育ち、最終的に、一九四〇年、二十二の品種を学会に発表した。

そのなかの一つ、交雑番号三九八六。母品種は、ベーリー(Bailey)。父品種は、マスカット・ハンブルク(Muscat Hamburg)。交配年は、一九二七年。初結実は一九三一年。発表は一九四〇年。命名は「マスカット・ベーリーA」〔註28〕。

東アジアの森のなかで、誰の手も介さずに緩やかに編み出されてきた在来品種とは、ここの資料の手触りが、ずいぶん違う。「父」と「母」が特定されていること。番号がふられていること。交配の年月日が書き留められていること。書物のかたちで残された記録のなかに、自分自身の出自を、はっきりと刻みこんでいること。これらは、甲州や紫や聚楽の側には、ない要素である。

川上の実践は、葡萄が育つ時間を、人間の生涯のスケールに圧縮する加速の試みだった、と要約することができる。森のなかで何百年もかけて起こることを、自分の圃場で、自分の手で、数十年に縮める。父を選び、母を選び、子を選び、孫を選ぶ。一万三百回の交配と、一千百株の結実、二十二の品種。葡萄が育つ時間を、人間の生涯のスケールに合わせて、ぎゅっと締め上げる、ある加速の地点が、ここに置かれている。

優劣をつけたいわけではない。ここがおそらく、第10回の核心的な分かれ目になる。

「自然な在来品種」と「人為的なマスカット・ベーリーA」と書いてしまえば、第1回からずっと点検してきたロマン主義的な対立軸のなかに、もう一度落ちこむ。「自然」「本来」「古来」という語彙が、口を開けて待っている。

ここでは、こう書き直しておきたい。両者の違いは、「自然か人為か」ではない。葡萄が育つ時間の、速さの違いである。そして、媒介者の違いである。森と、谷と、土地の暮らしの累積が媒介した在来品種。たったひとりの近代の育種家と、彼の圃場と、彼の手帳のページが媒介したマスカット・ベーリーA。どちらも、複数の系譜が縺れあった結果として、編み出されている。違うのは、その縺れあいがどれくらいの速さで起こったか、誰の手の上で起こったか、ということだけである。

そして、もうひとつ、これがおそらくいちばん大事な観察である。「人為的に作られた」と呼ばれるマスカット・ベーリーA自身が、よく見れば、複数種の縺れの所産である。父品種マスカット・ハンブルクは *Vitis vinifera* の一品種である。けれども、母品種であるベーリーは、十九世紀後半のアメリカで作出された交雑品種で、その系譜には *Vitis vinifera* のほかに、複数の北米系 *Vitis* の血が複雑に巻き込まれている、と伝えられる〔註29〕。ベーリーはすでに、複数の *Vitis* 種の長い絡まり合いの所産だった。

川上は、その交配の机のうえで、人類が長い時間をかけて編んできた絡まり合いの一部を、自分の圃場という近代的な空間のなかへ、圧縮していた、と書ける。彼の番号三九八六は、彼自身の選んだ核のように見える。けれども、その背後には、ベーリーの両親、ベーリーの祖父母、北米とヨーロッパの何世代にもわたる *Vitis* の絡まり合いという、川上自身がたいてい意識していなかったかもしれない、しかし確かにそこに在った縺れの厚みが、控えていた。

ここで、第四幕の議論が戻ってくる。マスカット・ベーリーAは、甲州たちと違って、よく記録され、出自が確定している品種である ── かに見える。けれども、その母方をたどれば、ベーリーという、北米の複数の野生種を巻き込んだ確定不能な縺れに行きつく。確定しているのは、川上が行った最後の一手 ── ベーリー × マスカット・ハンブルク ── だけであって、その手前の系譜は、在来品種と同じように、縺れて、ほどけない。記録は、ある一手の地点で系譜を切り、そこから手前を「ベーリー」という一語で束ねている。確定とは、どこかで縺れを一語に束ねる、その束ね方のことかもしれない。

岩の原葡萄園の圃場でも、勝沼の畑でも、葡萄は、ずっと、複数種の絡まり合いから組み合わさってきたらしい。ただ、その絡まり合いの「速さ」が違い、それを「記録する」物差しの細かさが違うだけである。そしてその違いに気づくとき、「人為か自然か」「育種か伝承か」「進歩か伝統か」という対立軸が、ゆっくりと、底のほうから抜けていく。残るのは、葡萄が、長くまた短く、広くまた狭く、絡まり合いながら成り立ってきた、いくつもの相だけである。

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# # # 六|どの葡萄も、ひとつに決まっていない ── 問いを開いたまま

ここまでの整理を踏まえて、もういちど、最初の問いに戻る。甲州とは、何だったのか。そして、甲州の隣に並ぶ在来品種たちは、何だったのか。

甲州を、「日本固有の葡萄品種」と呼べるのか。第3回からの議論を経たあとでは、その呼称には留保を付けたほうがよさそうだ。甲州は、ユーラシア西部の *Vitis vinifera* と、東アジアの複数の野生 *Vitis* 種が、誰のものでもない森のなかで、緩やかに編まれていった所産であるらしい。それを「日本固有」と呼ぶことは、現在の国境のなかにある畑から、過去の森の不確かな縺れに、後から線を引き直す身振りに近い。

甲州を、「シルクロードを経て奈良時代に伝来した品種」と呼べるのか。第1回からの議論を経たあとでは、この語りにも留保を付けたい。シルクロードの一本の線で、何かが東から西へ、あるいは西から東へ運ばれてきた、という物語そのものが、東アジアの森で長く起こっていたであろう、もっとずっと緩やかな絡まり合いを、見えなくしてしまう可能性がある。

甲州を、「ヨーロッパ *Vitis vinifera* と中国野生種 *Vitis davidii* の雑種」と呼べるのか。メディアでもっとも流通する要約はこれだが、Goto-Yamamoto らがあれほど慎重に書いた留保 ── 「野生種の種類と数は確定できない」 ── を引き受けるなら、こうも書きたくなる。甲州の三割の側で何が起きていたかは、いまも、半分以上、わからない。

おそらく言えるのは、こういうことくらいだろう。甲州は、「中心」という概念で捉えにくい単位である、と。そして、甲州だけではない。甲州三尺も、龍眼も、和田紅も、測ってなお宙づりの紫も、まだ測られていない聚楽も、それぞれの度合いと仕方で、ヴィニフェラという中心からの偏差として測られることを、半ば受け入れ、半ば逃れている。

東アジアに「第三の中心」を立てれば、私たちは、ヴァヴィロフ以来の中心起源説と、葡萄の二中心モデルを、それぞれ少しずつ修正しただけで、結局、中心という空間モデルの内側で考え続けることになる。近年の研究のなかには、葡萄の栽培化を単一の起源に近いものと捉えたうえで、その後の広範な遺伝子浸透を重視する立場もある。二つの中心を数えるよりも、こうした「ひとつの流れと、絶え間ない混じり込み」として捉えるほうが、葡萄の身体には忠実かもしれない 〔註30〕。中心はある、ように見える。けれども、その中心は、いつも、ほかの何かから遺伝子を流し込まれつづけている。「中心」と「縁」の区別が、葡萄の身体には、もはやうまく当てはまらない。

中心という枠組みに依拠せずに記述したほうが、現在の資料には忠実だろう、というのが、第10回がここまでで仮に到達した位置である。

ただ、第10回を書いてきて感じるのは、「中心という枠組みからの離脱」とだけ書いても、まだ何かが足りない、ということである。

葡萄について書くということは、どの物差しで書くかを、すでに選んでいるということでもある。第三幕で見たヴィニフェラの基準集団、PN40024 リファレンスは、何を「ぶどう」と呼び、何を「外れ」と呼ぶかを、すでに分けてしまっている。私が「甲州」と書くとき、その語が立ち上がる物差しの手前には、近代の品種登録制度、OIV の認定、農林水産省の表示基準、二〇一八年に施行された「日本ワイン」の制度、これらの幾層もの装置が、すでに積み重なっている。それらの装置のなかで、「甲州」という単位が、ある特定の輪郭をもって現れる。聚楽や高浜が、その輪郭を、まだ与えられないまま、測られないまま、畑の隅に在りつづけているのも、紫が一樹だけ研究所に保存されながら甲州との境界を宙づりにされたままなのも、同じ装置の働きの裏側である。

第10回で「甲州とは何か」と問うてきたが、その問いそのものが、ある装置のなかで立てられている。これは批判ではない。書くという行為が、すでにどこかに足を置いてしまっている、ということを認めることである。第10回がそこから完全に降りることはできない。降りようとすれば、別の装置を採用するだけのことになる。できるのは、自分がいま、どの物差しの上に立って書いているかを、できるだけ意識し続けることくらいだろう。そして、別の物差しの上では、別の輪郭が立ち上がる、その可能性を、書きながら手放さないでいることである。

ここで、この回の問いを、閉じずに、いくつかのかたちで開いたまま置いておきたい。

ひとつ。甲州の三割を構成する野生種は、何だったのか。これは、知りえないことの問いである。よりよい物差しと、より多くのサンプルがあれば、いつか、いくらか埋まるかもしれない空欄。

ひとつ。仮にそれが埋まったとして、では「ヴィニフェラ品種」と「野生種との雑種」を分ける線は、どこに引けるのか。これは、定まっていないことの問いである。埋めても埋めても、線そのものが対象の側に無いなら、答えは出ない。

ひとつ。聚楽は、高浜は、そして名前も記録も残らずに消えていった無数の在来の葡萄たちは、この偏差の地図のどこに乗るのか。これは、測られなかったことの問いである。そして、測られないまま、あるいは消えたまま、それでもかつて確かにワインになり、果実になり、誰かの食卓に乗った、という事実の問いでもある。

ひとつ。これらすべてを、「ヨーロッパの純粋なヴィニフェラ」という一つの型からの偏差として測りつづけることは、本当に、葡萄に対して忠実なのか。それとも、ワイン用葡萄には、もともと、複数の、互いに還元できないありようがあって、純粋なヴィニフェラ品種は、そのうちの、よく記録され、よく登録された、ひとつの相にすぎないのではないか。

第10回は、これらの問いに答えを与えない。与えられるだけの資料が、まだ無い。それに、性急に一つの答えへ畳むことは、いま見てきた葡萄たちのありよう ── 確定しないまま、毎年組み変わりつづけ、複数の仕方で在りつづけるありよう ── に、かえって背くことになる気がする。

私が大阪の店で、「甲州」とラベルされた一本のワインを開けて口にするとき、おそらく私は、これらの幾層もの問いが指し示している長いプロセスの、いちばん新しい一相に、たまたま居合わせていることになる。その一相は、来年も、再来年も、また新しく組み立て直される。そして、もしその隣に、紫の、あるいは龍眼の、あるいは名も知らぬ在来種のワインが置かれていたなら、私は、まだ誰も測りきっていない、確定不能ないくつもの偏差を、同じ卓のうえに並べて飲んでいることになる。

第11回では、この「確定しないものたちを、同じ卓のうえに並べる」という身振りが、テロワールという、業界のなかでもっとも酷使されてきた語と、どう交わるかを書いてみたい。「土地が葡萄を作る」とも「葡萄が土地を作る」とも単純に言いきれない、その両方の動きが互いを縺れさせている、ある関係の場として、テロワールを書き直す。ロジェ・ディオンを読みなおし、修道院の文書をもうすこしていねいに辿りながら。その先に、第12回と第13回では、ニコラ・ペルッロの仕事を呼び入れて、「味として経験される葡萄」のかたわらに、もういちど立ち直す、長い迂回が待っている。

第10回は、その迂回のための、ひとつの折り返し地点である。問いを開いたまま、次へ渡したい。

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# # # 註

〔註1〕 柏尾山大善寺、真言宗智山派、山梨県甲州市勝沼町勝沼3559。本尊は薬師如来。寺の公式縁起については、daizenji.org の「縁起」頁を参照。確信度:高(寺の現行の自己記述として)。

〔註2〕 大善寺について現存する最古の同時代文書記録は延慶三年(一三一〇年)の関東下知状とされる。日本史辞典類および甲州市の公式案内に基づく。確信度:高。

〔註3〕 大善寺本尊薬師如来坐像の制作年代について、平安時代前期とする見方が一般的とされる。美術史的年代鑑定の一次的判断への直接アクセスは未済であり、年代差の議論はこの二次的通説に依拠している。確信度:中。なお、葡萄要素が大善寺の薬師信仰・行基伝承に結びついた時期については、少なくとも三段階の仮説が立てられる。(a) 近代以降に観光・産業的文脈で強調された、という見方(蓋然性は高い)。(b) 近世以前から薬師信仰に葡萄要素が結びついていた、という見方(『甲斐国志』や寺記類の原文確認によりある程度詰めうる)。(c) 奈良時代の行基本人ないし行基集団が実際に葡萄栽培を伝えた、という見方(現状の史料では慎重に扱うべき)。本稿はいずれにも断定的に与せず、像の年代と寺伝の年代の開きを根拠に、葡萄要素を後代の層の重なりとして読みうる、という点までを述べるにとどめる。【未決の問い】葡萄要素の接合時期は確定できないものとして開いたまま残す。

〔註4〕 大善寺薬師如来像が手にする葡萄の持物については、寺の公式縁起は「手に葡萄」とし、観光・行政の案内では「右手に葡萄」とするなど、資料によって記述が一定しない。失われた持物の復元経緯を含め、一次資料での確認は未済。確信度:低。

〔註5〕 山梨県連合婦人会編『ふるさとやまなしの民話』平成元年(一九八九年)。雨宮勘解由伝承の収録媒体として、山梨県デザインアーカイブが出典明示するもの。確信度:高(編纂物自体の存在として)。

〔註6〕 福羽逸人『甲州葡萄栽培法 上巻』有隣堂、明治十四年(一八八一年)刊。福羽逸人(一八五六〜一九二一)は、明治政府の農学者、後に播州葡萄園長・新宿御苑を率いた園芸家。本書は国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開、識別子 NDL840112 系)で全文画像を閲覧でき、Wikimedia Commons にも転載がある。第一章「甲州地方葡萄樹繁殖来歴」の本文(コマ13〜21相当)を通読して確認したところ、雨宮勘解由の話は「舊記ニ據レバ」と旧記を引くかたちで記され、徳本は棚かけ法を伝えた「老醫」として、また源頼朝・武田氏への献上、徳川家康の世の記録、甲州各地(膝沼村・横根村・大門村・市川等)への分植の経緯が、複数の「期」に分けて述べられている(本稿の引用・要約は当該頁の画像に基づく)。なお、明治十四年の本書刊行が、各地で産地名等で呼ばれていた在来葡萄に「甲州」という品種名を与え定着させる契機になった、とする見方が、甲州ワインの普及者の解説などに見られる(確信度:中、二次的見解)。確信度:高(書誌・所在・第一章の内容)。

〔註7〕 福羽『甲州葡萄栽培法 上巻』第一章「甲州地方葡萄樹繁殖来歴」を通読するかぎり、大善寺の行基伝説への言及は見あたらない(コマ13〜21相当を確認)。一方、山梨県ワイン酒造組合の沿革史など後世の二次資料には、福羽が明治十一年の甲州調査の際に大善寺で行基伝説を取材した旨を記すものがあるが、その典拠は本稿では特定できていない。両者のあいだには、すなわち「福羽が行基を取材した」という二次的叙述と「本書第一章に行基が現れない」という原典の事実とのあいだには、ずれがある。確信度:第一章に行基が出ないこと=高/二次資料の典拠=不明。【未決の問い】(1) 福羽が行基伝説を下巻・序文・別著作のどこかで扱っているか。(2) 二次資料の「大善寺取材」記述の出所。(3) 行基伝説が甲州起源神話の中心に据えられた時期と経路。(4) 江戸期地誌(『甲斐国志』等)における勘解由・徳本伝承の萌芽の有無。いずれも結論を急がず、繰り越しの調査課題として開いたまま残す。

〔註8〕 永田徳本(一五一三〜一六三〇?)。武田信虎・信玄に仕えた漢方医。勝沼で葡萄棚架法を改良して村人に伝授したとされる。「甲斐の徳本」と呼ばれた。二次資料に基づく。確信度:中。

〔註9〕 勝沼における葡萄棚の素材変遷については、上岩崎の雨宮作左衛門による竹から鉄棒への置換(明治十二年、一八七九年)、勝沼郵便局長の若尾勘五郎による鉄線棚の考案(明治三十一年、一八九八年)が伝えられる。電信線の配架法を参照した、と公的観光資料は伝えるが、一次文書での確認は未済。確信度:中。

〔註10〕 大日本山梨葡萄酒会社(祝村葡萄酒会社)は明治十年(一八七七年)八月設立。同年十月、社員の高野正誠(一八五二〜一九二三)と土屋助次朗(後の土屋龍憲、一八五八〜一九四〇)の二名がフランスへ派遣された。一八七九年五月の帰国後、同社のぶどう酒生産高は約二・七キロリットルと伝えられる(山梨県ワイン酒造組合「山梨のワインの産業史」に依拠)。キリン歴史ミュージアム公開資料もあわせて参照。確信度:高。

〔註11〕 「シルクロード経由・奈良時代伝来」という語りが、近代日本の殖産興業政策のなかで形を整えていったという推定については、本リサーチ段階での確信度は中。明示的な一次史料での裏づけは未済。なお、甲州が近世に勝沼周辺に限られていたわけではないことを示す傍証として、後藤ほか2008(〔註22〕)は、元禄期の『本朝食鑑』(一六九五)・『農業全書』(一六九六)に駿河・八王子・京洛外への甲州栽培の広がりが記され、山形にも江戸から甲州が伝わったとされる旨を、中川昌一『日本ブドウ学』(一九九六)に拠って指摘している。起源を勝沼一点に凝集させる語りは、こうした近世の分布の広がりを背景に置くと、相対化される。

〔註12〕 Goto-Yamamoto, N., Sawler, J., & Myles, S. (2015). Genetic Analysis of East Asian Grape Cultivars Suggests Hybridization with Wild *Vitis*. *PLOS ONE* 10(10): e0140841. DOI: 10.1371/journal.pone.0140841. 本稿の五品種の数値(甲州71.5%、甲州三尺81.8%、龍眼91.7%、和田紅90.4%、白鶏心100%)、母系の型、最単純仮説は、すべて本論文の本文・図1・考察に直接当たって確認した。確信度:高。なお比率は48マーカーによるPCA推定値であり、論文自身が±0.04程度の信頼区間に言及している。

〔註13〕 龍眼は、日本では「善光寺ぶどう」とも呼ばれ、長野・善光寺周辺の在来種として知られる。日本の在来種一覧(日本伝統野菜推進協会など)で「竜眼(りゅうがん)/善光寺葡萄(ぜんこうじぶどう)」と併記される。確信度:高。

〔註14〕 Hayashi, N. & Suzuki, S. (2026). Transcriptional Insights Suggest Altered Ripening Progression and Sugar Regulation in Japanese Indigenous Wine Grape *Vitis* sp. cv. Koshu. *International Journal of Molecular Sciences* 27(2): 1061. DOI: 10.3390/ijms27021061. 発現遺伝子差・成熟プログラム・マッピング率の記述は本論文に依拠。確信度:高。

〔註15〕 同論文の考察より、要約。マッピング率(シャルドネ94.6%/甲州73.9%)の差を *V. davidii* に由来する配列分岐の反映として説明している。なお両数値は本文要旨ではなく補助資料(Supplementary Table)に基づく値であり、本稿ではその旨を承知のうえで参照している。著者らは、hybrid-aware または haplotype-resolved なリファレンスゲノムを用いた将来の解析が、この限界を緩和しうる、とも述べている。確信度:高。

〔註16〕 Velt, A. et al. (2023). An improved reference of the grapevine genome reasserts the origin of the PN40024 highly homozygous genotype. *G3 Genes|Genomes|Genetics* 13(5): jkad067. DOI: 10.1093/g3journal/jkad067. PN40024 が、ピノ・ノワール × シアヴァ・グロッサの交雑品種「ヘルフェンシュタイナー」の自家受粉を九世代繰り返して得られた系統であるという主旨の結論を含む。カナ表記(ヘルフェンシュタイナー、シアヴァ・グロッサ)は慣用表記との照合を要する。確信度:高(命題)/中(カナ表記)。

〔註17〕 ヒトゲノム研究におけるパンゲノム参照については、Liao, W.-W. et al. (2023). A draft human pangenome reference. *Nature* 617: 312–324. DOI: 10.1038/s41586-023-05896-x. これは単一の標準参照からパンゲノム参照への移行の意義を示したドラフト報告であり、「すでに広く普及した」というより、標準参照の考え方を組み替えつつある段階にある。葡萄の側でも、近年 *Nature Genetics* 等にパンゲノム構築の報告が現れはじめているが、具体的書誌の最終確定は次回稿に繰り越す。確信度:高(ヒト)/中(葡萄側の進展)。

〔註18〕 「偏差は品種の内在的性質ではなく、品種と物差しが触れ合うところに生まれる関係の効果である」という見方は、第四幕後半・第六幕とともに、装置と現象の不可分性をめぐる現代の議論を背景に参照している。詳細は〔註25〕を見よ。

〔註19〕 日本の在来葡萄品種一覧については、日本伝統野菜推進協会の整理などを参照。甲州、甲州三尺、紫(むらさき)、竜眼(善光寺葡萄)、聚楽(じゅらく)、高浜などが在来種として挙げられる。確信度:中(一覧の存在は確実だが、各品種の定義・異同には揺れがある)。なお江戸期には葡萄産地に固有の品種名が乏しく、河内・聚楽・大宮など産地名で呼ばれていたとも伝えられ、これらの呼称が後から品種として整理された可能性がある。確信度:中。

〔註20〕 在来品種からのワイン醸造の例については、山梨では大和葡萄酒(甲州市)が樹齢百年前後の甲州古木・龍眼・甲州三尺・紫などを、大阪では現存西日本最古とされるカタシモワイナリー(柏原市)が甲州古木などを用いる例が、各社の公開情報から知られる。確信度:中。

〔註21〕 Goto-Yamamoto et al. 2015 の考察より。甲州の野生種起源について「種類と数を確定することはできない(これらの種は絶滅したか、未同定か、現在の解析から欠落している可能性がある)」と明記されている。確信度:高(原文で確認)。

〔註22〕 「紫(むらさき)」は、近畿地方で江戸時代から栽培されてきたとされる在来品種で、現在は大阪府環境農林水産総合研究所に保存される一樹のみが知られる。この一樹と「甲州」を比較した一次研究として、後藤(山本)奈美・沼田美子代・島本敏・望岡亮介・細見彰洋(2008)「ブドウ‘紫’と‘甲州’のSSR解析およびアントシアニン分析による比較」『日本ブドウ・ワイン学会誌(J. ASEV Jpn.)』19(3): 114–118 がある。同論文は、二六のSSR遺伝子座すべてで両者が一致し、果皮アントシアニンの含量・組成も

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