02/06/2026
語られるテロワール ── 「その土地固有」の語が取りこぼすもの|葡萄のかたわらで 第11回
はじめに
私がワインを勉強しはじめたのは、一九九一年からでした。その頃は、いまとはずいぶん違って、知識はほとんど紙の上にありました。本を読むか、輸入元や酒屋が配ってくれる資料を読むか、そのどちらかが中心だったのです。
記憶が曖昧で申し訳ないのですが、私がテロワールという言葉を初めて目にしたのは、『ワインを聴く』という本の巻末だったように思います〔註1〕。各国の有名な生産者へのアンケートの回答が一覧になっていて、そのなかで、どなたかが、この語を書いていたように記憶しています。
当時の私の感覚では、テロワールよりも、クリマ、あるいはミクロクリマという言葉のほうを、よく耳にしたように思います。そして、この二つの語のあいだに、私は当時から、微妙なズレを感じていました。ミクロクリマというのは、微小な気候の違い ── 畑の向き、風の通り、朝霧の溜まりかた ── に、葡萄の生育の特徴の由来を求める語です。これに対してテロワールは、土地、とりわけ地質の違いのほうに、ワインの卓越性の根拠を置きます。同じ「土地と葡萄の関係」を語っているようでいて、一方は空気と気温のほうを、もう一方は土と岩のほうを向いている。私には、その向きの違いが、どうにも気になっていました。
その後、生産者が自分のワインの卓越性を語るときに、テロワールという語を使うのを見かけることが増えていきました。だから、あの頃はちょうど、ヨーロッパでもこの語を使う人が増えていく途中だったのかもしれません。
当時はとりわけ、地質について語るときにテロワールが持ち出されることが多かったように思います。そんなある時、山下範久さんの『ワインで考えるグローバリゼーション』という本のなかで、ロジェ・ディオンという地理学者が取り上げられているのに出会いました〔註2〕。ちょうど福田育弘さんの翻訳が出ていたこともあって、私は『ワインと風土』と『フランスワイン文化史全書 ── ぶどう畑とワインの歴史』を読みました〔註3〕。そして、単純なテロワール概念には留保が必要であること ── ブルゴーニュやボルドーの産地の形成において、鍵になっていたのは環境の要因ではなく、むしろ社会の要因だった、という考えを知ったのです。
歴史を辿ると、産地と消費地の結びつきは、物流の網との関係でみておく必要があります。その点を強く押さえたところが、ディオンの慧眼だったと、私は思っています。
地質の違いというものは、たしかにあります。けれども、その違いが優劣と結びつけられたとき、そこには何らかの価値判断が持ち込まれていることになります。そしてその価値判断は、主体と、領域の確定と、権威性とを利用しながら、制度とのあいだに緊密な関係を結んでいく。ワインの世界は、とりわけヒエラルキー的なところがありますので、私はそのあたりについては、態度を留保していたいと考えてきました。
この、地質と優劣のあいだに割りこむ価値判断への用心は、三十年前に芽生えて、いまも消えていません。むしろ、毎晩のように、私の手のなかで形をとりなおしています。カウンターで一本を開け、その葡萄について何ごとかを語ろうとするたびに、あの留保が、すぐそこまで戻ってくるのです。── ですから、ここから先は、紙の上の来歴ではなく、その毎晩の現場のほうから、書きはじめることにします。
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第10回の終わりに、私は大阪の店のカウンターで、「甲州」とラベルされた一本を開ける、と書きました。複数の系譜が縺れあい、毎年組み変わりつづけている長いプロセスの、いちばん新しい一相に、たまたま居合わせている。そう書いて、第10回を閉じました。
その続きを、同じ場所から、もう少しだけ手前に立って書きはじめたいと思います。一本を開けてテイスティングする、その前に、私はたいてい、何かを喋っているからです。
カウンターのなかで甲州を注ぎ、グラスを置きます。お客様が、これはどういう葡萄ですか、と訊く。あるいは訊かれなくても、私のほうから話しはじめる。日本ワインを置いている店なら、どこでも交わされる、ありふれたやりとりです。そして、このときいちばん手早い言葉が、ひとつあります。「日本固有の品種でして」。
便利な言葉です。短く、座りがよく、お客様も、ああ、と得心した顔をしてくれる。話はそれで一段落して、私は次の料理の支度に戻れます。── けれども、この一年ほど、私はこの言葉を、口の途中で飲み込むことが増えました。「日本──」まで言って、その先の「固有」と言おうとして、逡巡し出てこないのです。
ぎこちなくなる理由は、自分でもしばらく、よく分かりませんでした。
第10回までを書いてきて、私はこの引っかかりの正体に、すこしだけ近づいた気がしています。「固有」とは、起源で閉じる語です。ある土地に、ある植物が、もともと属している。よそから来たのではなく、ここのものである。そういう、出自による所属を、一息に言い切ってしまう語です。けれども第10回で見たとおり、甲州は、ユーラシア西方の Vitis vinifera と東アジアの複数の野生 Vitis が、誰のものでもない森のなかで緩やかに編まれていった所産であるらしく、しかもその縺れの三割ほどは、いまも何だったのか分かっていません。それを「日本固有」と呼ぶことは、現在の国境のなかにある畑から、過去の森の不確かな縺れへと、後ろ向きに線を引きなおす身振りに近い。第10回で私が手放そうとしたのは、まさにその、「中心」や「起源」のところで語をぱちんと閉じてしまう、あの身振りでした。
だとすれば、「固有」もまた、手放さなければなりません。
ところが、ここで妙なことが起きます。「日本固有の」を引っ込めたあと、提供したグラスのなかには、まだ甲州が存在しているのです。この葡萄は、たしかに、この国の、この土地の、長い時間のなかで人と関わってきました。そのことまで否定したいわけではありません。「固有」という語が捉えそこねている何か ── この土地で、これだけの時間、人と葡萄が関わりつづけてきた、その関係の厚み ── は、たしかに、お客様のグラスのなかに、あります。では、それを何と呼べばいいのでしょうか。
その関係の厚みを指す語を、私たちは、すでに持っています。ワインの世界でもっとも使い古され、もっとも曖昧で、もっとも酷使されてきた語。テロワールです。
第11回は、この語について書きます。ただし、テロワールが何であるかを定義しにいくのではありません。むしろその逆で、テロワールという語が、どのように語られ、どのように制度になり、どのように「土地の本質」という顔をするにいたったか ── その語られかたのほうを、辿りなおしてみたいのです。第10回が甲州の起源神話に対して行ったことを、今回はテロワールという語そのものに対して行う、と言ってもいいかもしれません。
ここで、ひとつ、はじめに認めておかなければならないことがあります。テロワールが「語られるもの」だとすれば、それをいちばん身近で語っている張本人は、ほかでもない、カウンターのなかの私です。私は毎晩のように、甲州について、龍眼について、何ごとかを語っています。「日本固有の」と言いかけては飲み込み、勝沼の夏は蒸し暑くて、と言い、扇状地の砂礫が、と言っている。だから第11回は、遠い修道院やフランスの地理学者の語りを腑分けする回であると同時に、私自身の、毎晩の語りを腑分けする回でもあります。語られるテロワールを論じる私の口もとも、その「語られるテロワール」の、いちばん新しい一相なのです。
副題に「語られるテロワール」と置いたのは、そういう意味です。私はフランスのブルゴーニュにも、ボルドーにも、足を運んだことがありません。書いていけるのは、今回も、資料と文献を介して、遠くから像を組み直すところまでです。けれども、その遠さの埋め合わせになるものが、ひとつだけあります。パセミヤという、語りが毎晩起きている現場を、私は持っているのです。
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一|空のほうを見るか、地面のほうを見るか
「固有」を飲み込んだあと、私は何を喋っているのか。あらためて思い返してみると、だいたい二通りの話をしています。
ひとつは、こういう話です。勝沼のあたりは、夏は蒸し暑く、雨も多い。だから棚で高く仕立てて、葉を風に通してやる。湿気がこもると病気が出るので、それを逃がすのです、と。── これは、空気の話です。気温と、湿度と、風の話。もうひとつは、こういう話です。あのあたりは扇状地で、水はけのよい砂礫の土だ。だから根が深く伸びて、と。── これは、土の話です。地面の下の、石と砂の話。
気がつくと、私の品種の説明は、いつもこの二つのあいだを行き来しています。そして、どちらを先に喋るかは、その日の気分や、お客様の様子で、なんとなく決まっている。自分でも、どちらが甲州の「本当」に近いのか、はっきりとは分かっていません。空気のほうなのか、土のほうなのか。
この、空気か土か、という小さな迷いには、実は長い前史があります。私が一九九一年に感じていた、ミクロクリマとテロワールの、あのズレ ── あれが、形を変えて、いまもテーブルの上に、居残っているのです。少し遠回りになりますが、二つの語が、それぞれどこから来たのかを辿ってみたいと思います。自分の毎晩の迷いの出どころを、確かめておきたいのです。
ミクロクリマ ── 微気候という語は、もとはといえば、ワインの言葉ではありません。気候学の言葉です。一九二七年、ドイツの気象学者ルドルフ・ガイガーが、『地表近接気層の気候』という本を著しました〔註4〕。地面のすぐ上の、ごく薄い空気の層。そこでは、数メートル離れただけで、あるいは数十センチ高さが違うだけで、気温も湿度も風も変わります。その局所の気候を、ガイガーは微気候と呼びました。これが、この語の出発点です。
この気候学の語が、葡萄畑に持ち込まれるのは、ずっと後のことになります。一九八〇年代、ニュージーランドやオーストラリアの葡萄栽培学者たち ── リチャード・スマートや、フランスのアラン・カルボノーら ── が、葡萄の葉群(キャノピー)の内側の微気候を、問題にしはじめました〔註5〕。葉が繁りすぎると、内側の果房に光が届かず、風も通らず、湿気がこもる。だから葉の層を整理し、仕立てを工夫して、果房まわりの微気候を変えてやる。スマートが言ったのは、おおむね、そういうことです。
ここで、ひとつ、見落としたくないことがあります。ガイガーの微気候が「自然がそこに与えている局所の気候」だったのに対して、スマートの微気候は「人が剪定と仕立てによって作り出す気候」だった、という点です。微気候という語は、半世紀のあいだに、観察される対象から、操作される対象へと、意味あいを変えていました。── 私がカウンターで「葉を風に通してやる」と喋るとき、私はスマートの側の、操作される微気候のことを、知らずに口にしているわけです。
一方、テロワールのほうは、まったく別の道を歩いてきました。
テロワールという語そのものは、ずいぶん古い言葉です。語源はラテン語の territorium(領域)で、中世フランス語には tieroir といった形ですでに現れ、十三世紀には「領域」を、やがて「農業の営まれる土地」を意味するようになりました〔註6〕。一五四九年には、ワインの文脈で「goût de terroir(テロワールの味)」という言いまわしが現れます。ただし、ここで気をつけたいのは、当時この「テロワールの味」は、必ずしも褒め言葉ではなかった、ということです。むしろ、洗練を欠いた、土臭い、田舎じみた、という否定的な含みを帯びることすらありました。「土地の味がする」とは、垢抜けない、という意味でもありえたのです。いまの私たちが、うっとりと「テロワールが出ている」と言うのとは、ずいぶん違います。
そして、これが決定的なのですが ── 中世から近世のテロワールが指していたのは、地質ではありませんでした。当時のテロワールは、村落共同体の耕作地の総体、つまり比較的広い農地の空間に近かった。私たちがいま、テロワールと聞いて思い浮かべる、石灰質の土壌だの、片岩の斜面だのといった地質学的なニュアンスは、ずっと後の時代になって、細分化された地質の知識とともに、付け加えられた意味なのです。
つまり、こういうことになります。私が一九九一年に感じていたズレ ── ミクロクリマは空気のほうを、テロワールは土と岩のほうを向いている、というあのズレ ── は、二つの語が、まだ別々の系譜を生きていた時期の、ごく正確な感覚だったのです。微気候は、気候学から来て、葡萄栽培学が引き取った、若い技術の語でした。テロワールは、地理学と農学の伝統のなかで、何度も意味を変えながら歩いてきた、古い語でした。両者は、出自からして、違っていたのです。
ところが、二十一世紀に入って、この二つは、制度のなかで一つに束ねられてしまいます。二〇一〇年、国際ブドウ・ブドウ酒機構(OIV)が、ジョージアのトビリシでの総会で、テロワールの定義を正式に採択しました〔註7〕。その定義によれば、テロワールとは、識別可能な物理的・生物的環境と、適用される栽培・醸造の実践とのあいだの相互作用についての、集合的な知識が積み重なっていく空間であり、特定の土壌、地形、気候、景観、生物多様性の特徴を含む ── とされます。気候も、土壌も、地形も、そして人間の実践までもが、テロワールという一語のなかに、統合されました。ミクロクリマは、いまや、テロワールの内側に呑み込まれています。私の感じていたズレは、こうして制度の上では、解消されました。
けれども、解消されたからといって、消えたわけではありません。
ここで私は、ひとつのことに気づきます。あのズレは、空気か土か、というだけのズレではなかったのではないか。
気候は、毎年、変わります。今年の夏は暑かった、雨が多かった、と私たちは毎年、性懲りもなく言う。ミクロクリマとは、つまり、変わりつづけるものの名です。その年ごとに、葡萄の身体に、違う仕方で効いてくるもの。これに対して、地質は、変わりません。何百年も、何千年も、そこに在りつづける石灰岩、そこに在りつづける砂礫。テロワールが地質のほうへ重心をかけるとき、それが指し示しているのは、変わらないもの、動かないもの ── つまり、「本質」です。そして、変わらないものだけが、序列の土台になれる。動かない地面の上にしか、格付けという建物は、建たないからです。
ここまで書いてきて、私は、一九九一年のあの違和感が、何だったのかを、ようやく言葉にできる気がしています。
私が惹かれていたのは、どうやら、変わらない本質のほうではなかった。毎年変わる気候、葡萄の身体がその年ごとに受け取りなおしているもの ── そちらのほうだったのです。第10回で私が書いた、毎年組み変わる甲州のゲノムも、思えば、この「変わりつづける側」にありました。あのとき気になって仕方がなかった小さなズレは、もしかすると、私がこの連載でずっと辿ってきた問いの、いちばん最初の、まだ言葉にならない形だったのかもしれません。
この見立てが正しいかどうかは、この回の終わりまで書いてはしましたが、いまだに分かりません。ただ、ひとつ予感だけ書いておきますと ── テロワールをめぐる現代の議論は、地質を「本質」として崇める素朴さからは、とうに離れています。けれども、地質という本質を手放したあとに、では何が残るのか、というところで、議論はもう一度、分かれていくように思うのです。変わりつづける気候の側、葡萄の身体の側に残るのか。それとも、人間が語り、評価し、制度にする、その実践の側に残るのか。この分かれ道のことは、第五節で、もう一度考えたいと思います。
その前に、地質が「本質」の顔をするにいたった、その由来のほうを、見ておかなければなりません。なぜ土と岩が、空気ではなく、卓越性の根拠の座に着いたのか。その物語は、たいてい、中世の修道院から語りはじめられます。
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二|修道院の石壁を、もう一度ほどく
通俗的な語りは、こうです。シトー会の修道士たちが、来る年も来る年も、区画ごとに葡萄を育て、その味を記録し、土の違いが味の違いになることを発見していった。彼らは最良の区画を石の壁で囲み、クロ(clos)と呼んだ。なかには、土を口に含んで、その味から区画の性格を読みとった修道士もいた、といいます。こうして千年の観察の果てに、テロワールという考えが熟成し、それが二十世紀の原産地呼称制度(AOC)へと結実した ──。
この物語は、語りとしては、実によくできています。禁欲的な観察者、千年という時間の厚み、土を舐めるという、いかにも身体的で具体的な所作。テロワールという、つかみどころのない抽象的な概念に、これ以上ふさわしい起源譚は、ちょっと思いつきません。
この連載の第8回で、私はブルゴーニュのクロ・ド・ヴージョに、いちど触れています。シトー会がこの地に葡萄畑を開き、一三三六年ごろに石垣で囲ったこと。「クロ」という、壁で囲まれた畑の単位そのものが、特定の土地と特定の葡萄を結びつける装置として働きはじめたように見えること。そう書きました。ただ、そのとき私は、ひとつ留保をつけておきました。クロは中世においては所有権と税徴収の単位として機能していたのであって、現代的な「テロワール表現の単位」としての含意は、後代の遡及的な構築である可能性が高い、と。そして、テロワールという概念そのものは第11回であらためて取り上げる、と書きました。その約束を、ここで果たしたいと思います〔註8〕。
まず、「修道士が土を舐めた」という、あの印象的な所作から始めましょう。
この所作は、いかにも中世の文書に書かれていそうです。けれども、ブルゴーニュの研究者たちが中世・近世の一次資料を辿っても、修道士が土を試食して区画を定めた、という記述は、見あたらないのだそうです。では、あの像は、どこから来たのか。ディジョン大学の研究者たちの調査によれば、このイメージのよく知られた初出のひとつは、ヒュー・ジョンソンが一九八九年に著した、ワインの世界史のなかにあるらしいのです〔註9〕。つまり、「千年の伝統」を象徴するあの所作は、二十世紀の終わりの、一冊の啓蒙的な書物のなかで、生き生きと描かれた像である可能性が高い。中世の修道士が書き残したものではなく、二十世紀の書き手が、中世をこう想像した、その想像のほうなのです。「土を舐めた修道士」は、ことによると、一九八九年生まれだったのかもしれません。
ここまでは、第10回で甲州の行基伝説について見たことと、よく似ています。行基が葡萄を伝えた、という像が、奈良時代の出来事の記録というより、後代の幾層もの語りが重なり合って結晶したものだったように、修道士が土を舐めた、という像も、後代の想像が結晶したものらしい。神話が立ち上がるのは、原典に虚偽が書かれているからではなく、いくつもの層が、ある時期にひとつの語りのなかで重ね合わされ、引用され、太字になっていく、その過程によります。これは、第10回で置いた作業仮説そのものです。
ただし、ここで立ち止まって、ひとつ腑分けをしておきたいと思います。甲州の神話とブルゴーニュの神話は、よく似ていますけれども、神話化されている層が、実は違うのです。
甲州の場合、後から作られていたのは、主として「いつ・誰が」という、起源の物語でした。奈良時代に、行基という人物が伝えた。神話は、起源の時点と、起源の主体に、凝集していました。これに対して、ブルゴーニュの場合、後から作られているのは、起源の時点や主体というより、「ある語が、もともと何を指していたのか」という、語の意味のほうです。クロやクリマ(climat)という語が、最初からいまと同じ「テロワールの表現単位」を意味していた、という理解そのものが、後代の遡及なのです。
この違いは、小さく見えて、小さくありません。甲州の神話を解体するには、起源の年代と主体を、史料で問いなおせばよかった。ブルゴーニュの神話を解体するには、ひとつの語が時代ごとに何を指してきたかを、辿りなおさなければなりません。前者は出来事の神話であり、後者は意味の神話です。同じ「事後的な構築」でも、構築されている対象の層が、ずれている。第10回の語彙でいえば、甲州では「いつ起きたか」が問われ、ブルゴーニュでは「どの物差しで測られた語か」が問われる、ということになります。
では、クリマという語は、もともと何を指していたのでしょうか。
ディジョン大学のジャン=ピエール・ガルシア、トマ・ラベ、ギヨーム・グリヨンらの研究は、ここを一次資料から丹念に追っています〔註10〕。彼らによれば、十六世紀から十七世紀にかけてのブルゴーニュの史料で、クリマという語と、テロワールという語は、ほとんど同義であるどころか、むしろ対立する語だったといいます。テロワールは、さきに見たとおり、村や町を中心とする共同体の用益地の総体を指し、価値としてはむしろ低い、田舎じみた語でした。一方クリマは、村と村のあいだの、人の住まない、中心集落への参照をもたない空間を指す語だったのです。
クリマが、ワインの品質を保証する単位として ── つまり、いまの私たちが思うような意味で ── 立ち上がってくるのは、十七世紀の末から、十八世紀、十九世紀にかけてです。そして、それを駆動したのは、土を観察する修道士ではありませんでした。ディジョンの都市です。議会貴族、王の官吏、新興の投資家といった、ディジョンの都市エリートたちが、自分たちの求める「高級なワイン(grands vins)」を売り出すための品質規範として、クリマという範疇を磨きあげていきました。ガルシアらは、これを「テロワールとクリマの、都市による製作(la fabrique urbaine)」と呼びます。最初の「クリマのワイン」の記録のひとつは、一六七六年、シャンベルタンとクロ・ド・ベーズについてのもので、それはディジョンの市場をめぐる文脈に現れる、といいます。
そしてもう一つ、決定的な装置が、十九世紀に加わります。一八六〇年、コート=ドールの葡萄畑を格付けした地図が作られました。オリヴィエ・ジャケの研究によれば、この地図こそが、ブルゴーニュの葡萄畑を、階層化され、細分化されたテロワールの景観として可視化し、それがその後のAOC形成やINAOの実務にまで影響していったのです〔註11〕。
つまり、こう並べてみることができます。クロ・ド・ヴージョの石壁(中世)、クリマという品質範疇の鋳造(十七〜十八世紀)、格付け地図による階層の可視化(十九世紀)、原産地呼称制度(二十世紀)、そしてユネスコ世界遺産登録(二〇一五年)。── これらは、ひとつの自然が、一貫して表現されつづけてきた歴史ではありません。むしろ、別々の時代の、別々の合理性が、石壁という同じ物の上に、次々と別の意味を重ねていった歴史なのです。石壁はひとつでも、その石壁が何を意味するかは、時代ごとに鋳直されてきた。第一節の言葉を使えば、ここでもまた、「変わらないもの」(石壁、地面)の上に、「変わりつづけるもの」(意味、価値、制度)が、幾層も堆積している。私たちはその堆積のいちばん上の層を見て、それを石壁そのものの声だと思ってしまうのです。
ここで、ひとつ書き添えておきたいことがあります。
このクリマ概念史の解体を担っているガルシアらの研究者集団は、同時に、二〇一五年のユネスコ世界遺産登録 ── 「ブルゴーニュの葡萄畑のクリマ」 ── のための学術的根拠を作成した、まさにその集団でもあるらしいのです〔註12〕。つまり、同じ人々が、一方では「クリマは千年の自然な伝統ではなく、都市が作った範疇である」と脱神話化しながら、他方では、そのクリマを人類の遺産として登録する制度的な装置を、学術的に裏書きしている。これは矛盾でしょうか。私は、必ずしもそうは思いません。むしろ、これこそが「語られるテロワール」という主題の、いちばん深いところを指し示しているように思うのです。テロワールやクリマが構築されたものであることと、それが現に人々の生を支える現実であることとは、両立します。問題は、構築されたものを「自然な本質」と取り違えること、そしてその取り違えを、引用と制度の連鎖が太字にしていくことのほうにあります。── この、構築と現実が両立する、という捩れた事態を、どう考えればいいのか。それを正面から引き受けた研究者たちが、現代にはいます。次の節で、その声を聴きたいと思います。
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三|ロジェ・ディオン ── 半世紀前の前史と、その非対称
その現代の声を聴く前に、もう一人、前史としておさえておかなければならない人がいます。「はじめに」で名前を出した、ロジェ・ディオン(Roger Dion, 一八九六〜一九八一)です。
ディオンを読んだときのことは、わりあいよく覚えています。最初に感じたのは、一種の解放感でした。
それまで私は、テロワールという語の前で、どこか居心地の悪い思いをしていました。「この畑は格が違う」「この土地だからこの味になる」── そういう語りに、頷きながらも、心のどこかが頷ききれずにいたのです。土が違えば味が違う、それはいい。だが、その違いが、なぜ「格」の違いに、優劣に、値段の違いに、まっすぐ翻訳されてしまうのか。そこのところが、ずっと腑に落ちませんでした。ディオンは、その腑に落ちなさに、一つの答えをくれました。
ディオンは、リール大学を経てコレージュ・ド・フランスの歴史地理学講座を担った地理学者で、一九五九年に『フランスにおける葡萄とワインの歴史 ── 起源から十九世紀まで』という大著を、自費で出版しました〔註13〕。八百頁近く、八百を超える文献の註を備えたこの書物は、いまもこの分野の古典とされています。
ディオンの主張は、当時の通念からすれば、いっそ挑発的でした。フランスのワインの品質や名声は、土壌や気候や品種によって決まるのではない。それを決めているのは、市場との地理的な関係であり、消費者の要求であり、人間の意志である ── そう彼は論じました。ボルドーの格付けは、中世以来、高級品を求めたイギリス市場の商業戦略の産物である。ブルゴーニュの大アペラシオンは、ディジョンの公爵宮廷の要求から説明される。北ローヌの個性は、リヨンの市民層の期待に応えるなかで磨かれた。ディオンの筆は、一貫して、土地から人間へと、説明の重心を移していきます。
「はじめに」で私が「産地と消費地の結びつきは物流の網との関係でみておく必要がある」と書いたのは、まさにこのディオンの視点を指しています。ある畑のワインが「優れている」とされるのは、その土が特別だからではなく、その畑が、高い値で買ってくれる市場へと至る経路の、ちょうどよい結節点にあったからかもしれない。河川、街道、宮廷、港。ワインの卓越性は、地質図の上にではなく、物流の地図の上に、書き込まれていたのかもしれません。これが、私がディオンの慧眼と呼ぶものです。私の腑に落ちなさ ── なぜ土の違いが格の違いになるのか ── に対して、ディオンは、あいだに「市場」を一枚かませてみせた。土が格を決めるのではない。土と市場の関係が、格を決めるのだ、と。
ここで、ひとつ、文献の上で気をつけておきたいことがあります。これは第11回の主題そのものに関わりますので、すこし立ち入ります。
ディオンのテロワール論を要約するとき、しばしば「テロワールは地質学的事実ではなく社会的事実である(le terroir est un fait social, non géologique)」という、切れ味のよい一句が引かれます。私も長らく、これをディオン自身の言葉だと思っていました。ところが、原典を辿ってみると、この一句は、どうやらディオン本人の地の文ではないらしいのです〔註14〕。これは、二〇一〇年に彼の著作が再び世に出た際、その紹介や解説の周辺で ── とりわけ地理学者ジャン=ロベール・ピットの周辺で ── 流通するようになった、後世の要約である可能性が高い。
ディオン自身の筆に、より近い定式は、もうすこし慎重で、もうすこし含みのあるものです。一九五二年の論文で、彼はこう書いています。銘醸ワインを生むうえで土地が果たす役割は、芸術作品の制作における素材の役割を、ほとんど超えるものではない、と〔註15〕。あるいは、一九五九年の書物の冒頭近くで、彼はこう書きます。人間は、ワインを、義務によってではなく、選んだ友のように、好みによって愛する。だからワインの歴史は、その地理的な現れかたにおいてさえ、小麦や稲の歴史よりも、人間の恣意(arbitraire humain)によって、より強く刻まれている、と〔註16〕。
「土地は素材にすぎない」「人間の恣意」── これらはディオン自身の語彙です。「社会的事実」という、社会学的に磨かれた一句は、彼の語彙ではありません。
この区別は、些細な揚げ足取りに見えるかもしれません。けれども、第11回の主題からすれば、この区別そのものが、ひとつの実例になっています。テロワールという語が、引用の連鎖のなかで意味を鋳直されていくのと、まったく同じように、ディオンというひとりの地理学者の主張もまた、引用の連鎖のなかで、「社会的事実」という、より鋭く、より流通しやすい一句へと、結晶していきました。私たちが「ディオンはこう言った」と思っているものの一部は、ディオンが言ったことではなく、後世がディオンに言わせたことなのです。語られるテロワールについて書こうとする者は、語られるディオンについても、同じだけ慎重でなければなりません。── これは、自分自身への戒めでもあります。私もまた、さきほど書いたとおり、「社会的事実」という後世の一句を、長らくディオン自身の言葉だと思いこんでいた口なのですから。
さて、ディオンを前史として置くことには、十分な理由があります。彼は半世紀以上前に、土地決定論を、明確に退けていました。ただ、その退けかたの内側を、もうすこし丁寧に見ておきたいのです。「ディオンは土地を捨てて人間をとった」と、ひと息に言ってしまいたくなる。けれども、一次の文章にあたってみると、事情はもう少し込み入っているようなのです。
この、市場と物流を葡萄畑の質の説明に持ち込む眼は、ディオン一人の思いつきではありませんでした。彼はアナール派(École des Annales)と呼ばれる歴史家たちの一人でした ── 二十世紀の前半、フランスで起こった歴史学の刷新の流れで、王や戦争や条約といった大きな出来事の連なりを追う従来の歴史から離れて、気候、土壌、交易路、農法、人々の暮らしの長い持続を、相互に作用しあう要因の編み目として描こうとした人たちです。彼らが照らしだしたのは、自然の与件だけではありません。市や居酒屋や祭り、葡萄摘みの共同作業といった、人と人とが寄りあい結びあう社交の網 ── 暮らしのなかの社交性(sociabilité)もまた、葡萄酒の文化を編む確かな一本の糸でした。ディオンにとって、葡萄畑がどこに生まれ、どの土地の酒が名を上げるかは、地質だけでも、気候だけでも、人間の欲望だけでも決まらない。それらが長い時間をかけて編みあう、その編み目のなかから立ち上がってくるものでした。だから彼の自然は、けっして動かない背景ではありません。気候は変わり、土地は痩せ、川の流れは交易の道を引きなおし、葡萄畑はそれに応じて位置を変えていく ── ディオンの環境は、たしかに動的に変動するものとして描かれています。
事実、ディオンは、自然のみ・人間の意志のみという、どちらか一方だけを原因に立てる論じかたを、明確にしりぞけていました。事実を理解するには、それを二つの相のもとで見なければならない ── 一方は自然条件への抵抗を、他方は従属を表す、その両方を同時に見よ、と彼は書いています〔註15〕。土地決定論にも社会決定論にも振り切らず、抵抗と従属の両方を抱えこむ。これがディオン自身の方法でした。後世が彼に着せた「社会的事実」という鋭い一句は、この抱えこみの慎重さを、ずいぶん削ぎ落としてしまっているのです。
けれど、その変動の主語は、誰なのか。ディオンの筆のなかで、気候や土壌は確かに動きます。動いて、人間の営みに影響を与えます。けれどその動きは、人間が読み取り、乗り越え、あるいは利用する条件としての動きであって ── 自然そのものが、何かを差し出し、人間と共に酒を作る当事者として立つ、というところまでは届いていないように思うのです。市場も、物流も、社交の網も、人間の側ではこれほど豊かに編まれている。それだけに、その編み目に自然が当事者として加わっていない非対称が、かえって際立つ。前の節で触れた、土を舐めた修道士の話を思い出すまでもなく、ここでも能動性はやはり人間の側に集められている。自然は動く。動くけれど、動かす側ではなく、動かされる側にとどまっている。
ディオンの抵抗と従属の抱えこみは、対称ではありませんでした。そして、その非対称は、一回かぎりの枠づけのなかにあるのではなく、幾層もの折り重なりのなかに、繰り返し現れます。ディオンの描く過程は、こう辿ることができます。まず、社会の側の要因 ── 市場の要求、都市の富、流通の便 ── が、どこを葡萄の地とするかという領域を、大きく画定する。その画定された枠のなかで、自然条件の合う土地が、適したものとして残っていく。そして、その残存が、こんどはさらなる資本と労働の投下を呼び込み、産地は、いっそう産地らしく彫り深められていく。社会が枠を引き、自然がそれに応え、その応答がまた社会の投下を促す ── ディオンの葡萄畑は、こうした層の折り重なりの果てに、立ち上がってくるものでした。
ここまで辿ると、ディオンは、人間と自然とが交互に手を出しあう、ずいぶん動的な過程を描いていたことになります。事実、そうなのです。彼の歴史は、自然がただ背景に退いて人間だけが動く、という単純なものではありません。それどころか、ディオンの自然は、変化さえします。人間が土地を改良し、綿密な栽培を重ねるなかで、葡萄の木はおのれの特質を開花させ、その特質はやがて、土地の側に「獲得された性質」として刻まれていく。もとからの自然条件のうえに、人間との長い往復が生んだ新たな性質が、重なっていくのです。けれども、その過程を、どの層でも駆動しているものは何か、と問うてみると、答えは、やはり一方に傾きます。各層で、選択の基準を立てているのは ── どんなワインが価値を持ち、どの市場がそれを求めるかを定め、ひいては、何をもって「適した」とするかを決めているのは ── 人間の側です。そればかりか、いま見た自然の変化さえ、土地を改良し葡萄に手をかけるという、人間の長い作業が引き出したものでした。自然は、その人間の立てた基準に照らして、適したか・適さなかったかを、判定される。合致すれば残り、合わなければ退く。自然は、能動的に過程を起こすのではなく、人間の起こした選択に対して、残存という仕方で、あるいは変化という仕方で、応答する側に置かれている。ディオンの自然は、たしかに動きます。動いて、過程に加わる。変化さえする。けれど、過程を駆動する側としてではなく、各層で選別され、働きかけられる側として、加わっているのです。
これが、私が「振り切れ」と呼びたかったものの、より正確な姿です。ディオンは、土地が品質を一方的に決めるという、素朴な土地決定論者ではありませんでした。かといって、自然をただの舞台に退ける、単純な社会決定論者でもなかった。彼は、抵抗と従属の両方を抱えこむ、抱合的な歴史家でした。ただ、その抱えこみかたが、過程のどの層においても、選択を起こす能動性を人間の側に集め、自然を選別される側に置く、という意味で、非対称だったのです。
第10回までを書いてきた私には、この非対称な配分を、そのまま受け取ることはできません。第9回では、一本の葡萄樹のなかに、穂木と台木という複数種の界面が同居していることを見ました。第10回では、甲州というゲノムが、毎年の成熟ごとに、東アジア野生種に由来する領域とヨーロッパ系の領域とを、その年の温度や水や光と交渉させながら、「甲州であること」を組み立てなおしていることを見ました。これらの場面で能動的に働いていたのは、人間だけではありませんでした。葡萄の身体そのものが、台木が、微生物が、その年の気候が、それぞれの仕方で関与していた。── 第一節で私が「変わりつづける側」と呼んだもの、毎年の気候が葡萄の身体に効いてくるあの動きは、ディオンの過程のなかでは、人間の立てた基準に照らして「適した」と判定される側、選別される側に置かれてしまうものです。けれども第10回で見たかぎり、それは判定を待つ側どころか、「甲州であること」を毎年みずから組み立てなおしている、当の働き手だったのではないか。
だとすれば、第11回が向かうべき先は、こうなります。ディオンとともに、土地決定論を捨てる。けれども、ディオンを超えて、人間中心の構築論にも振り切らない。「土地が葡萄を作る」とも「人間が葡萄を作る」とも言い切らず、その両方の動きが互いを縺れさせている、ある関係の場として、テロワールを書き直す。第10回の終わりに予告した、「土地が葡萄を作るとも葡萄が土地を作るとも単純に言いきれない」という、あの両義の場へ。
そして、この書き直しの作業を、現代の研究者たちは、それぞれの仕方で、すでに始めています。次に、その五つの声を聴きに行きたいと思います。彼らがディオンの非対称な配分を、どう引き受け、あるいはどう組み替えているのかを、聴き分けながら。
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四|語られるテロワールの現在 ── 五つの声
ここから、現代の研究者を見ていきます。五人を選びました。立場も、依拠する思想の伝統も、分析の手つきも、それぞれに違います。けれども共通点がひとつあります。五人とも、テロワールを「土地のなかに、もともと在るもの」とは考えていません。テロワールは、議論され、実践され、語られるなかで、そのつど立ち上がってくる何かである ── この一点で、五人は重なります。第二節の終わりに残した捩れ、つまり、構築されたものでありながら現に人々の生を支える現実でもある、というあの事態を引き受けようとしているのが、この五人です。
重さはそれぞれに変えています。長く付き合う人もいれば、短く済ます人もいます。ただ、ひとつのことに注意を向けておきます。それぞれの議論のなかで、葡萄や土や微生物が、どの場面で出てくるか。これは第五節で使います。
ジュヌヴィエーヴ・テイユ ── 「テロワールは在るのか」という問いを、置きかえる
最初に、フランスの社会学者ジュヌヴィエーヴ・テイユ(Geneviève Teil)の議論を聴きます〔註17〕。彼女は、テロワールをめぐって、奇妙な対立があることから話を始めます。
一方に、科学者がいます。土壌を分析し、気候を測り、成分を調べる科学者にとって、テロワールという観念は、どうにも始末が悪い。これだけ調べても、「この土地がこの味を生む」という因果の鎖は、きれいには取り出せない。だから科学の側からは、テロワールはしばしば、実証できない思いこみ、あるいは商売のための語り、というふうに扱われてしまう。他方に、生産者や、ワイン商や、飲み手がいます。彼らにとって、テロワールは疑いようもなく実在する。このワインにはこの畑の何かが出ている、という手応えは、毎日の経験のなかで、確かにある。けれども、それを科学のように証明することは、できない。
この対立を前にして、たいていの人は、どちらが正しいのかと問います。テロワールは実在するのか、それとも幻想なのか、と。テイユが面白いのは、その問いの立て方そのものを、いったん脇へ置くところです。実在するか・幻想か、という二択をやめて、彼女はこう問いなおす。テロワールは、いかにして在るのか、と。どんな仕方で、それは在ると言えるのか、と。
これは、言葉遊びではありません。テイユの考えでは、ものには、いくつもの「在りかた」があります〔註18〕。机の上のコップのように、誰が見てもそこに在る、という在りかたもあれば、約束や、信頼や、評判のように、人々がそれを実在するものとして扱い、参照し、やりとりするなかで、確かに働いている、という在りかたもある。テロワールは、後者に近い。テロワールが「在る」のは、人々がそれについて語り、比べ、異を唱え、もう一度飲みなおし、格付けし、制度にする ── その尽きることのない営みのなかにおいてなのです。
ここで大事なのは、これが「語られるから虚構だ」という話には、ならないことです。むしろ逆です。語られ、比べられ、検証され、争われるからこそ、テロワールは実在する。第二節の終わりで、私はガルシアたちの捩れた仕事 ── クリマを脱神話化しながら、同時に世界遺産として登録する ── を前に立ち止まりました。テイユの議論は、あの捩れに、正面から答えるものです。構築されたものであることと、現実であることは、矛盾しない。構築する営みそのものが、それを現実にしているのだから。
この連載で私が用心してきた「分かったつもり」への警戒も、テイユのこの身振りと、どこかで重なります。在るか・ないかと問うてしまえば、答えはどちらか一枚の絵に収まってしまう。いかにして在るのかと問いつづけるかぎり、その絵は、たえず描きなおされていきます。── テイユの議論で葡萄や土が出てくるのは、人々が語り、比べ、検証する、その議論の場でした。
アントワーヌ・エニオン ── 味は、発見されるのではなく、感じられるようになる
テイユと近いところで、けれども少し違う角度から、味のことを考えてきた人がいます。同じくフランスの社会学者、アントワーヌ・エニオン(Antoine Hennion)です〔註19〕。
エニオンの問いは、こうです。私たちがワインの味を「分かる」とき、何が起きているのか。素朴に考えれば、こうでしょう。ワインのなかに味という性質があり、それを舌が感じとり、脳が認識する。味は、もともとそこに在って、私たちはそれを「発見」する、と。エニオンは、この素朴な図式を、ていねいにひっくり返します。
彼が見つめるのは、愛好家(アマチュア)が、実際に味わっているときの、その所作です。グラスを回し、色を見て、香りを嗅ぎ、口に含み、しばらく待ち、言葉をさがす。仲間と語らい、過去に飲んだ一本と比べ、また飲む。この一連の身ぶりのなかで、味は、だんだんと、感じとれるものになっていく。エニオンに言わせれば、愛好家は、すでにそこに在る味を受け取っているのではない。身体と、道具と、その場の言葉とを総動員して、自分を、味わえる身体へと、少しずつ仕立てあげているのです〔註20〕。
これは、第一節で書いた、私自身のカウンターの所作と地つづきです。私は甲州を説明しながら、お客様といっしょに、その味を感じとれる場をつくろうとしている。蒸し暑い夏のことを話し、扇状地の砂礫のことを話すのは、味わうための補助線を引いているのです。その補助線があってはじめて、お客様の舌に、ある味が立ち上がってくる。テイユが「テロワールという対象がどうやって在るものになるか」を問うたとすれば、エニオンは「味わう身体がどうやってその対象に結びついていくか」を問うた、と言えます。── エニオンにおいて葡萄や香りの分子が出てくるのは、人が味わっている、その口もとでした。
マリオン・ドゥモシエ ── ブルゴーニュは、ローカルであるほど、グローバルになる
三人目は、人類学者のマリオン・ドゥモシエ(Marion Demossier)です〔註21〕。彼女は二十年以上にわたって、ブルゴーニュの葡萄畑とそこに生きる人々を、フィールドワークの対象としてきました。
ドゥモシエの視点は、ディオンの慧眼を、現代へと延長したものだと、私は受け取っています。ディオンは、ブルゴーニュのワインの名声を、市場と都市の側から説明しました。ドゥモシエが見ているのは、その先です。今日のブルゴーニュにおいて、「その土地らしさ」そのものが、グローバルな市場、世界遺産という制度、観光、地域のアイデンティティ、そして気候変動 ── そうしたものの絡まりあいのなかで、たえず作りなおされている。彼女が描くのは、ローカルなものが、グローバルなものと切り離された素朴な「土地の味」としてではなく、むしろグローバルな流通と評価のなかでこそ、いよいよ「ローカルなもの」として磨かれ、輸出されていく、という逆説です。ブルゴーニュは、世界へ出ていくほどに、ますますブルゴーニュらしくなる。
この視点は、第二節で見たクリマの概念史や、世界遺産登録の話と、まっすぐつながります。ドゥモシエは、登録にあたって作られた宣伝映像のなかの、あの「土を舐める修道士」の場面にも、批判的な目を向けています〔註22〕。そして彼女は、人類学者としての自分の仕事を、こう位置づけます。人類学は、神話づくりに手を貸す仕事ではない。神話を、腑分けする仕事なのだ、と。── この一句は、テロワールを腑分けしようとしながら、その自分もまた毎晩それを語る側にいる、と認めてきた私にとって、ひとつの励ましのように響きます。ドゥモシエにおいて、葡萄や土が顔を出すのは、市場と、遺産化と、観光という、グローバルな舞台の上でした。
アンドレア・パヴォーニ ── 制度になったテロワールと、それを「冒す」身ぶり
四人目は、少し毛色が違います。法と感覚の問題を交差させて考える、アンドレア・パヴォーニ(Andrea Pavoni)です〔註23〕。彼が論じるのは、おもに自然派ワインの運動です。ここでは、その議論を、テロワール一般の話に広げすぎないように、慎重に紹介します。
パヴォーニは、いまのワインの世界を、二つの大きな力が支配している、と見ます。ひとつは、原産地を法的な領域として確定し、産地イコール品質保証とする、制度の力。AOCのような仕組みです。もうひとつは、ワインを消費者の好みへと差し出し、評点や市場価値へと還元していく、商品化の力。自然派ワインの運動は、この二つの力の両方に、同時に逆らおうとしている ── パヴォーニはそう読みます。彼はその身ぶりを、「冒瀆(profanation)」という、強い言葉で呼びます〔註24〕。
この「冒す」という語は、もとは、聖なるものとして囲い込まれ、手の届かないところに祭り上げられたものを、もう一度、人々の手のなかへ取り戻す、という意味あいを持っています。制度のなかで神聖化され、凍りついたテロワール。それを、ふたたび生きた手のなかへ引き戻そうとする運動として、パヴォーニは自然派ワインを描きます。── ここで重要なのは、パヴォーニの議論のなかで、ようやく、土や微生物といった人間でないものたちが、人間に味わわれる前の段階で、能動的な顔を出しはじめる、ということです。この点は、第五節で、もう一度拾います。そして、制度に凍りついたものを生きた手へ取り戻す、というこの主題は、次回以降、自然派ワインそのものを正面から扱うときの、大切な足がかりになります。
ジェニファー・スミス・マグワイア ── 「土地の味」は、違いの分かる者の語彙でもある
五人目、最後は、文化社会学者のジェニファー・スミス・マグワイア(Jennifer Smith Maguire)です〔註25〕。彼女が光を当てるのは、テロワールという語が、消費の文化のなかで果たしている、もうひとつの働きです。
ソムリエ、ワインの書き手、輸入商 ── こうした「あいだに立つ人々」が、何が良いワインかという価値の秩序を、日々つくっています。そのとき、テロワール、産地、真正性(オーセンティシティ)、唯一無二であること、といった語は、たいへん便利に働く。これらの語は、ワインを説明すると同時に、それを語る人・選ぶ人を、「違いの分かる者」として、そっと位置づけるからです。「この造り手のテロワールは特別で」と語るとき、私たちはワインについて語っていると同時に、自分がそれを見分けられる側にいることを、示してもいる。
これは、「はじめに」で書いた、私のヒエラルキーへの用心と、まっすぐにつながる論点です。地質の違いが優劣の違いへと翻訳されるとき、そこに価値判断が忍びこむ、と私は書きました。スミス・マグワイアが見ているのは、その翻訳が、ほかならぬ私たちの語りそのもののなかで、日々起きている、ということです。ただし、これを「テロワールなど違いの分かる者ぶるためのゲームにすぎない」という醒めた結論に落とすつもりは、私にはありません。テロワールは、現実の土地と実践に、確かに根ざしています。問題はそこではなく、その根ざしたものが、消費の文化のなかで差異化の語彙へと翻訳されていく、その翻訳のされかたのほうにあります〔註26〕。スミス・マグワイアにおいて、葡萄や土が顔を出すのは、価値づけと、識別と、語りの市場の上でした。
五つの声を、並べてみる
五人を見てきました。立っている場所は、それぞれに違います。テイユは、ものの在りかたを問う哲学のほうへ。エニオンは、味わう身体のほうへ。ドゥモシエは、フィールドワークの記述のほうへ。パヴォーニは、制度に抗する運動のほうへ。スミス・マグワイアは、消費の文化の分析のほうへ。とりわけテイユとエニオンは、依拠する思想の系譜という点で、互いに近いところにいます〔註27〕。残りの三人は、それぞれ別の学問の畑から来ていて、互いに引用しあうことも多くはありません。この五人は、ひとつの学派ではない。同じ結論を共有する仲間でもない。
それでも、五人には、たしかに通じあうところがあります。テロワールを、土地のなかに眠る不変の本質とみなし、その本質が品質の優劣を決めるとする見かた ── 第一節で見た、地質へと重心をかけた、あの「本質」の顔。五人はそれぞれのやり方で、この見かたをほどいてきました。確かな仕事だと思います。
ただ、五人の議論には、この通じあう仕事とは別に、五人自身が気づかずに共有しているものがあります。それは、葡萄や土が出てくる場所に関わっています。
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五|五つの声に共通する傾き ── 非人間は、どこで目を覚ますのか
五人とも、テロワールを作られるもの、語られるもの、立ち上がるものとして論じています。第10回までに私が辿ってきた方向と、よく重なります。けれど、第一節の終わりに書いた予感 ── 地質という本質を手放したあと、何が残るかで議論はもう一度分かれる ── が、ここで戻ってきます。
ひとつ、はっきりさせておきます。五人を「結局は人間の側に話を寄せている」とまとめるのは、当たっていません。テイユにせよエニオンにせよ、人間でないものを議論の中心に据えることが、そもそもの出発点でした。彼らは葡萄や土や道具や微生物を忘れてなどいない。むしろ、人間とそれらの絡まりを描くことに、仕事を賭けてきた人たちです。
問題は、忘れているかどうかではありません。葡萄や土が、どこで出てくるか、です。第四節で見たとおり、テイユでは議論の場、エニオンでは味わう口もと、ドゥモシエでは市場と遺産化の舞台、スミス・マグワイアでは識別の市場でした。どれも、人間が立ち会っている場所です。五人の議論で人間でないものが出てくるのは、決まって、人間がそこに居合わせる場面です。人間が語るとき、味わうとき、評価するとき、争うとき、そのときに葡萄や土は出てくる。人間が誰もいない場面で葡萄が独りで何かをしている時間は、五人の議論には、ほとんど描かれていません。
五人のなかで、パヴォーニだけは、すこし違います。第四節で見たように、彼は、制度に冒される手前の土や微生物が、人間に味わわれる前の段階で能動的な顔を出す、というところまで踏み込んでいました。五人のなかで、最も畑の側へ近づいた人です。けれど、そのパヴォーニにしても、関心の重心は、その能動的な非人間を、人間の実践がどう冒し、どう取り戻すかにあります。土や微生物が顔を出すのは、やはり、人間の実践がそれに触れる、その手前ぎりぎりのところまでで ── 葡萄が独りで夜を過ごしている、人間の触れない時間そのものへは、まだ伸びていないように思うのです。最も近づいた人でさえ、そうなのです。
第10回の甲州のゲノムの組み変わりは、誰も見ていない畑で起きていました。誰も味わわず、語らず、格付けもしない夏の夜のあいだに、葡萄の実のなかで、東アジア由来の領域とヨーロッパ由来の領域とが、その年の暑さや雨と交渉しながら、「甲州であること」をその年のぶんだけ組み立てなおしていた。人間がグラスを傾けるかどうかと関わりなく、進んでいた時間です。第一節で「変わりつづける側」と呼んだ、毎年の気候が葡萄の身体に効いてくる動きも、同じです。今年の夏が暑かったことは、誰が語ろうと語るまいと、葡萄の身体にすでに効いている。私がカウンターで「蒸し暑い夏でして」と言うより前に、葡萄はその夏を受け取り終えています。
ここまで来て、第一節のミクロクリマの話が、なぜ冒頭になければならなかったのかが分かります。気候学者ガイガーの微気候は「自然がそこに与えている局所の気候」でした。葡萄栽培学者スマートの微気候は「人が剪定と仕立てで作り出す気候」へと、意味を変えていた。スマートの微気候が出てくるのは、栽培家が剪定鋏を手にして畑に立った場面です。栽培家がいなければ、それは「管理すべき微気