02/06/2026
Scivias Sound Archives #1: フリードリヒ・グルダ ― モーツァルト《ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545》第2楽章 アンダンテ ― 歩くように
Sciviasで日々流れている音楽を紹介する「Scivias Sound Archives」を始めます。月に一度くらいのペースで続ける予定です。もし更新が止まっていたら、「アーカイブはどうなった」と気軽に声をかけてください。
クラシックと即興演奏を往復し、ジャズにも深い関心を示したオーストリアのピアニスト、フリードリヒ・グルダ。『The Complete Gulda Mozart Tapes』のディスク3に収録されたW.A.モーツァルト《ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545》第2楽章アンダンテを聴くと、穏やかな速度の中にも、音楽が前へと進み続けている感覚がある。音は均等に刻まれているようでありながら、時間は静止したものとしてではなく、散歩の時に軽やかに足が前へ出るような身体感覚として立ち現れてくる。
左手の反復する分散和音は、揺れながら進む足取りのように響く。右手の旋律は牧歌的な鼻歌のようでありながら、ときに左手のバスの重心を変える。それは立ち止まったり、よそ見をしたりしながらも歩みを止めない散歩のようだ。
グルダの繊細なタッチによるピアノの響きのグラデーションは、風景の描写のようにも感じられるし、その風景に寄り添いながら歩調を緩めたり速めたりする身体感覚そのもののようにも伝わってくる。
この全集には、ボーナスディスクとして同じアンダンテの別テイクも収録されている。こちらのグルダはさらに積極的な解釈を聴かせる。グリッサンドやトリル、前打音などの装飾が随所に散りばめられ、モーツァルトの音楽に潜んでいる即興性を強く感じさせる演奏だ。
アンダンテの足取りもより軽やかで、時に拍の頭が着地ではなく次の一歩への弾みのように響くため、歩みの重心が揺らぐ。上行するグリッサンドには羽が生えたような軽やかさがあり、夢想家の気まぐれな散策を眺めているような面白さがある。そこでは楽譜に記された音列というよりも、身体の動きからその場で立ち現れてくる音楽としてモーツァルトが響いてくる。
楽語でいうアンダンテは「歩くように」という意味を持つが、ここで重要なのは速さの指示ではなく、「歩く」という身体の状態そのものである。実際に歩いていると、左右の足の交互の接地は一定のリズムを刻み、身体はそのリズムに馴染んでいく。
早足になると足の接地時間は短くなり、身体はより軽やかに進んでいく。それは身体の動き方そのものの変化として感じられる。
ここで問題となっているのは、外側から測定される速度ではなく、身体の運動そのものである。速さとは時間の長短ではなく、身体の接地の仕方や重心の移り方として感じられる。
アンダンテやプレストといった楽語は、このような身体の状態の違いを指示しているように思う。それらは単なるBPMの指定ではなく、どのような歩幅で、どのような重心で、どのような緊張の配分で時間を扱うかを示す言葉である。この意味で、楽語は数値的な速度記号ではなく、身体の運動様式の指示として働いている。
作曲とは抽象的な記号を配置していく営みであり、演奏とは綴られた記号を音として立ち上げる営みである。聴取とはその音を聞き取る営みだ。しかし、そうした記号のやり取りとして音楽を捉えるだけでは見えてこないものもある。グルダのアンダンテを聴いていると、その背後には歩く身体のリズムや重心の移ろいが感じられる。記号として書かれた音楽の中にも、身体的な運動のパターンを見出すことができるように思う。