24/04/2026
小さな犬によく吠えられる。
特にミニチュアダックスフンドには100%で吠えられる。
子供の頃などは、あまりにも吠えられすぎて
「近未来では僕の子孫が小型犬を滅ぼしてしまうのかもしれない・・・
だから犬たちは未来を変えるために、幼い僕を消そうとしているんだ!」という妄想に取り憑かれるほどだった。小学3年生くらいまでは犬ターミネーターのサラ・コナーとして生きていた。
そんな良くも悪くも未来が可能性にあふれていた頃の話。
小学校から自宅へと向かう帰り道に小型犬を散歩している人とすれ違った。
私が視界に入るや否や、常軌を逸した勢いで吠えはじめるミニチュアダックスフンド。
今にも目玉がこぼれて落ちてしまいそうな勢いで目をひん剥き、涎をまき散らす必死の形相は今でも脳裏に焼き付いているが、それ以上に鮮明に覚えているのは飼い主の言葉だった。
『うちの子、普段はこんな子じゃないのに…!』
家では誰にでも人懐こい可愛いらしい我が子が、
お前のせいで理性を失った狂戦士(バーサーカー)と化している。
それは決して私を名指しで非難するように放たれた言葉ではなかった。
怯える私に迷惑をかけまいと、飼い主は必死にワンちゃんのリードを引っ張りながら吐息混じりに小さく、しかしハッキリと私に聞こえる程度の音量で大きめの一人言をつぶやいた。
『うちの子、普段はこんな子じゃないのに…!』
いったい誰に対する言い訳なのだろう。
もし吠えられている私に対しての「誤解しないで欲しい!本当は心のやさしい子なの!」という訴えだとしたら、加害と被害という当事者性を考慮しても到底受け入れることは出来ない弁明だろう。
例えば、痴漢の現行犯で逮捕された人の母親が『うちの子、普段はこんな子じゃないのに…!』と呟いたとて、目の前の性戦士(バーサーカー)に情状酌量の余地を与える被害者はいないはずだ。
仮に小学3年生の僕がありえないくらい短いホットパンツを履いていて、太ももにペディグリーチャムの刺青を入れていたとしても、一線を越えていい理由にはならない。
あれから20年以上が経った今でも私は小型犬に吠えられ続けている。
特にミニチュアダックスフンドには100%で吠えられる。
でも、今はあの時の飼い主の気持ちも分かる。
身近な存在の知られざる一面を目の当たりにした時に、自分の中の理想像を押しつけてしまうことはしばしばある。
それが自身の価値観において受け入れがたい行動であれば、なおさら「こんな子じゃないのに・・・」と現実を無視して認知してしまう。
だからこそ、
目の前でクソほど吠えているワンちゃんの存在を否定するのではなく、きっとこの子にも心穏やかな時間があるんだろうな、と想像できる認知の余白を大切にしていきたい。
※余白がありすぎると犬ターミネーター2(妄想)が始まるのでバランスが大事です。